●石油ルート哨戒に加われなかった35年前の痛恨
岡崎 集団的自衛権行使の閣議決定が出たら、産経新聞に論説を書こうと思っています。題は、「苦節35年、ついに集団的自衛権の行使を認めた」にしようと思っています。(参考:2014年7月2日付産経新聞 正論「苦節35年、集団的自衛権の時きた」)
何が35年かと言うと、1980年を基準にしています。ですので、そこから35年になりますね。
1980年、あるいはその前後はどのような情勢だったのか。ベトナム戦争の最中だった当時、ソ連海軍がベトナムのカムラン湾を占領し、駐留していました。南シナ海の航行はソ連海軍が見張っていました。また、79年にホメイニ革命(イラン革命、イラン・イスラム革命)、そして80年にイラン・イラク戦争が勃発します。それによって湾岸の海洋交通路も脅かされていました。日本にとって死活的に重要な、日本からペルシャ湾に至る日本の石油ルートが全て脅かされていたのです。
それを常時パトロールして守ったのが、アメリカの第7艦隊でした。ところが、これは楽な任務ではありませんでした。甲板上は昼は40度から50度になります。あの頃の軍艦では冷房もあまり効かず、夜もゆっくり休めません。それを何カ月も続けるのです。
当時、私は防衛庁に勤務していたのですが、ある時、横須賀基地のアメリカ海軍司令官が私のところへふらっと遊びに来まして、公式の申し入れではなく、いわば雑談として聞いてくれと訴えました。そのように非常につらい任務だが、パトロールしていると来る船来る船全部日本のタンカーである、と。それで水兵が怒ってしまって「俺たちはこれだけ苦労をしている。どうして海上自衛隊が来ないのか?」と言うのだそうです。司令官は言いました。「自分には日本の政治事情は分かる。しかし水兵たちには分からない。水兵の間にそれだけ怒りがたまっている状況であることは分かっておいてほしい」と言ったそうです。
ところが、海上自衛隊はそれができなかったのです。集団的自衛権がありませんから、日本の船は守れても、一緒に行動しているアメリカの軍艦も守れなければ、アメリカやインドネシアやタイの船も守ってはいけない。航行中の日本の船がたまたま攻撃されたら、それだけは守れますが、それ以外は集団的自衛権行使にあたるから、というわけです。しかも日本の船なるもの...