●日本の過剰反応が海外からは右傾化的な反応に見える
―― 日本の社会は今、保守化というか、右傾化が非常に進んでいると言われ、その右傾化も歴史研究家の保阪正康さんに言わせると、戦前の空気に結構近いような感じになってきているのではないかということです。朝日新聞の訂正の話も、今まで朝日が果たしてきた良い影響も全て否定しているような感じで進んでいくというのは、あまりよろしくないのではないかというようなことも含めて、結構難しい問題なのですが、保守化、右傾化という今の世相の問題についてお願いします。
曽根 全般的に大人の対応ができない時代になってきました。なぜ大人の対応ができないのかというと、余裕がないのです。
その余裕のなさはどこに由来するのかというと、日本は経済的にアジアのナンバーワンですが、あらゆる面でアジアのナンバーワンであったというところです。民主化も最初に行いましたし、市場化も最初でした。あるいは、国際社会の中での活躍も最初でした。ところが、今は経済的にアジア諸国から追いかけられ、安全保障上の危機感も生まれています。
そのようなことから言えば、細かいことも含めて、過剰に反応しているのです。その過剰な反応の仕方が、総じていえば、海外からは右傾化的な反応と見えるのです。
●アジアに対する過剰反応か、アメリカや国際秩序に対する反撃か
曽根 その一番大もとの反応として問われているのは、一体日本は何を守りたいのか、何を主張したいのか、ということです。例えば、第2次世界大戦では、日本はやはり敗戦したのです。しかし、「敗戦した」というところからスタートするのか。「いやいや、そうではない、日本は悪くなかった。戦前の日本もいいことをした」と、そこに戻ってしまうと、これは、戦後の国際秩序に対する大チャレンジなのです。歴史修正主義ともいえるし、あるいは、単にアジアの中の中国、韓国だけではなく、アメリカやヨーロッパ、国連も敵にまわして、「日本はやはり第2次世界大戦では悪くはなかった。太平洋戦争は日本の正義が挫折しただけだ」と、そういう見方をとるかとらないかという点が一つあります。
その副次的な観点として、戦後の基準をどこに求めるのかということもあります。東京裁判は、非常に悲劇的な裁判でしたが、日本はそれを受け入れたのです。そのことが気に入らないというのは分かるけれども、それを受け入れることによって、つまり、ある意味では取引をすることによって、日本の国体を護持したのです。国体を護持することによって、国際社会へ復帰したし、アメリカと講和条約を結ぶことによって、国連にも加盟できたのです。そこも否定するのか? ということです。
また、日本人の誇りとは、一体いつの誇りなのか。多分、正々堂々と誇れるものは、戦後70年間戦争をしていないことだと思うのですが、日本はそれを言いたいのか。一方で、戦前のいわゆる大東亜共栄圏の頃に、日本はアメリカに負けましたが、それが悔しいから、対アジア以外にも、対米ということで反米意識を持っている人もいるのです。
ですから、右傾化や保守化ということよりも、アジアに対する過剰反応でとどまるのか。それとも、アメリカや国際秩序に対する反撃をしたい、とにかく憲法が気に入らないということで占領時代の問題に行くのか。そこが根本にありますね。
●日本の立ち位置と進むべきところを積極的に世界に発信しなければいけない
曽根 こうした問題は重いですが、もう少し軽いところでは、今、過剰反応はネット社会が代表です。そこでは特に「日本が中国と韓国からたたかれている」という意識があり、「悪いのはあちらだ」と反応しているのです。
先ほど「大人の対応」と言いましたが、世の中にはいろいろな批判をする人がいますし、そこでは、正しいことも間違っていることも含めて、たたかれるのです。アメリカはずっとたたかれ続けています。けれども、たたかれても、大人であれば、そういう議論や批判はいずれ淘汰されると考えて、「言わせておけよ」と受け流すでしょう。
ところが、いちいち反撃、反論するという余裕のなさが出てきたのです。これを局地的ないざこざ、いがみ合いと考え、放っておくべきなのかどうかということよりも、むしろ、世界に対して、日本の立ち位置と日本が進むべきところを、積極的に発信しなければいけないのです。発信するためには何が必要かというと、戦略が必要です。日本は何を目指している国なのか、それを示すための戦略です。
●国際社会に対する貢献への日本の立ち位置が今問われている
曽根 例えば、戦後70年間、日本は戦争をしていませんが、これは多分、憲法第9条があるからではなく、日米安保条約の方が重要だったからです。ただ、日本には「戦争をもう二度と...