●年金問題によって生じた「ねじれ現象」で「テロ特措法」終了へ
ここで、特別措置法と自衛隊の活動、そして国会の状況について、それぞれにもう少し詳しく説明申し上げます。
「テロ特措法」は、2001年9月11日のテロ攻撃でもたらされた脅威に対抗することを目的とする特別立法で、その目的を達成した時点で廃止されることが予定されたものです。テロ攻撃による脅威への対処という活動は、いわば一時的なものです。そこで、継続して実施することの可否については、一定期間ごとに国会の判断を仰ぐことが適当と考えられ、本法は2年を期限として、必要があれば別の法律で2年以内の延長ができるとされました。
結果的には、2003年10月に2年、2005年10月および2006年10月にそれぞれ1年、本法の期限を延長する法改正が行われました。しかし、2007年7月の参議院選挙では、いわゆる国会の「ねじれ現象」が生じました。与党である自民党・公明党が過半数を占めない状況の下、2007年11月1日の法律の期限は延長されることなく、約6年にわたる活動が終了しました。
当時、私は防衛駐在官として米国にいたのですが、この時の参院選挙の争点は年金問題でした。年金問題をめぐり、野党であった民主党が大勝したのです。そして、夏頃だったでしょうか。民主党が突如、「テロ特措法の延長は認めない」「インド洋の派遣は認めない」と言い出したものですから、私は何度も米国の国防省やその関係機関などに呼ばれました。
彼らから、「年金という国内問題で国民の支持を得た民主党が、なぜ突然国際問題であるテロとの戦いやインド洋補給活動を中止すると言い出すのか、理解に苦しむ」と言われたことを覚えています。
●「不安定な平和」に適応するための、二つの特措法
しかしながら政府は、テロとの戦いに引き続き積極的かつ主体的に取り組む必要があるとして、インド洋における補給活動を再開するべく、国会に「補給支援特別措置法案」を新たな法律として提出。衆議院における再議決・再可決により、2008年1月16日、公布・施行されました。「補給特別措置法案」は2回の延長を経て、民主党への政権交代後の2010年1月15日、同法の期限をもって失効しました。これにより、「テロ特措法」に基づく活動と合わせて、一時的な中断を挟みながらも約8年にわたって実施されてきたインド洋における補給活動は終了しました。
一方で、「イラク人道復興支援特措法」について、陸上自衛隊の部隊の活動は法律の期限通りの4年をもって、航空自衛隊の部隊の活動は法律の期限を2年間延長した6年をもって、それぞれ終了しました。
以上、二つの特措法をめぐる事実関係を整理しました。
私は、二つの特措法による活動を、こう捉えています。わが国は、冷戦下において、ある種幸運とも言える環境で安全保障政策を固定化してきましたが、冷戦後の「不安定な平和」の時代に適応するため、その後の10年をかけ、三つの段階を経ながら安全保障システム、とりわけ安全保障法制や国民のコンセンサス形成の基盤、プロセスづくりに呼応してきました。しかし、9.11以降の急激な安全保障環境の変化に対して、これらをもって情勢適応することは不十分だということを結果的に証明したのではないか、と考えています。
●海賊の出現と恒久法としての「海賊対処法案」の成立
インド洋における補給活動が「補給特措法」に基づく活動に変更されているちょうどその頃、活動海域に隣接したソマリア沖アデン湾では、海賊による脅威が顕在化していました。こうした海賊の発生件数増加を受け、国連安全保障理事会では多くの決議が採択され、国際社会に対して「海賊抑止のための協力」を呼びかけるところとなりました。
わが国を含む19カ国が共同提案国となり、2008年10月7日に全会一致で採択された第1838号では、関連諸国に対し、特に海軍艦艇・軍用機を展開させることにより、ソマリア沖公海上における海賊行為への対処に、積極的に参加するよう要請しました。
この決議が採択された直後の2008年10月17日、衆院テロ特別委員会では、「海賊対処のために海自艦艇を派遣し、護衛することを考えるべきではないか」と野党議員からも指摘され、外務大臣、防衛大臣、総理大臣から検討を進めていく旨が表明されました。同じ委員会で、海上保安庁長官からは「海上保安庁巡視船の派遣は、総合的にみて難しい」という旨の発言もありました。これを契機に、与党、関係省庁、海運関係者の検討が加速され、2009年3月13日に「海賊対処法案」が閣議決定されます。また、同法案が成立するまでの応急措置として、自衛隊法に基づく海上警備行動により、当面は自衛隊が派遣されることとなりました。
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