●不況下におけるリーダーシップのあり方、三つのポイント
いよいよ蒲島県政が始まったのが、2008年の4月です。それで、私は、蒲島県政というのはどういうものかということを、自分で客観的に分析してみました。
私が県政を始めた頃は、日本が大不況のときなのです。リーマンショックも、また経済的な危機もあるときで、今考えてもあれほどの大不況のときによく就任したなと思っています。
経済的に好況のときのリーダーシップというのはやりやすいのです。何をやってもうまくやれるのですが、不況下におけるリーダーシップのあり方というのはやはり違います。そこで、私は三つのことが必要だと思いました。
なぜリーマンショックが起こったかというと、あまりにも経済的な価値だけを尊重してきた、そういう社会の行き着く先がリーマンショックだったわけです。ですから、まずお金中心主義から価値観を転換しようと思いました。これが一つ。
私がどのような転換をしたかというと、幸福というのはお金だけではありません。プライドや、あるいは希望、そして安全安心なども重要です。もちろん経済的なものも大事です。そういう価値観の転換をしようというのが、第一の私のリーダーシップのあり方です。
二番目に考えたのは、私と一緒に4年間、県民は暗いトンネルの中を抜けていかなければいけない、ということでした。暗いトンネルの中を抜けるためには、リーダーシップのあり方として、そのトンネルの先の明るい夢を語らなければいけません。ですから、私の一期目のマニフェストは夢が多いのです。夢をずっと語り続けてきました。前回までお話ししてきたように逆境の中にこそ夢があるという経験が、ここで活きてきたのです。
そして三番目が、景気がよくても悪くても熊本県には多くの課題がありますので、今のうちに課題を解決しておこうと思いました。ですから、三番目のアプローチとしては、課題の解決ということ。これが、私が県知事として一期目にとったリーダーシップだったのです。
●「蒲島県政」スタート時の職員への三つの指示とパラダイムシフト
そしてもう一つは、これまで県政というと「熊本県政」という言い方をしました。ですから、誰がやっても「熊本県政」なのですが、それではおかしいのではないか、と考えたのです。アメリカを例にとれば、レーガン政権、あるいはカーター政権などと、その時のリーダーの名前が付いています。これに対して、「熊本県政」と呼んでしまうと、ずっと昔からの継続性を尊重するようになってしまいます。そうではなくて、「蒲島県政」と呼ぼうと思い、そういう呼び方をしたのです。
そうして、県知事就任のときに三つのことを職員に言いました。まず、「できないと思うな」ということです。どうしたらできるかを考えることが大事だと言いました。
それから、二番目に、「国のせいにするな」ということ。また、「他県と比べるな」とも言いました。他県といろいろな面で比べると、熊本県は突出したところがなく、だいたい中位なのです。他県と比べたり国のせいにすると、思考停止になってしまいます。
そして三番目に、あとで「皿を割ることを恐れるな」という話が出てきますが、その時はまだその言葉を知らなかったので、要は「失敗を恐れずにチャレンジしよう」ということを言いました。いずれ全て責任は私がとる、全て自分の責任として考えているので、失敗を恐れずにやってくれと。これらが、私が最初の県政を始めた時の職員に対する指示だったのです。
もう一つ大事なことは、パラダイムシフトです。行政というと浮かぶイメージは、だいたい管理、それから指導、継続性、そして没個人、画一性、安定性、平等性、こういったことがわれわれが考える行政です。ですが、私はそれはあくまで手段であって、目標は「県民総幸福量の最大化」だと思いました。ですから、規制を中心とする県政はやめようと思いました。今ここでやろうとする規制が、県民の幸福量にプラスになるかマイナスになるか、それで判断しようと、そのように考えたのです。
「蒲島県政」は、まず非常に大変なときだったので、危機状況、あるいは不況下におけるリーダーシップのあり方、職員に対する私の指示、そして行政におけるパラダイムシフト、これを最初から掲げて県政を行いました。
●「決断の政治」「対応の政治」「目標の政治」
そのようにして、実際に政治をやってみると、単に行政といってもいろいろな形があることに気づきます。例えば、これまで長い間決断ができなかったことに対する「決断の政治」。これが一つ。二番目に、例えば災害が起こったとき、それにどう対応するかという「対応の政治」です。そして、三番目に、自分の目標を設定して行う「目標の政治」。このそれぞれにい...