テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

テンミニッツTVの3つの目的とリベラルアーツの全体像

われわれの求めるリベラルアーツの全体像

曽根泰教
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
テンミニッツTVはさまざまな情報を提供しているが、大きな目的は3点に集約されるという。1点目は、対象の全体像を提供できるかということ。2点目は、その全体像の中で変化するダイナミズム、その方向性を読み取ることができるかということ。3点目は、それが分かったらどうしたらいいかということ。それらはいったいどういうことなのか。われわれの求めるリベラルアーツの全体像について考える。
時間:15:44
収録日:2019/08/28
追加日:2019/10/11
カテゴリー:
≪全文≫

●テンミニッツTVの大きな目的は三つ


 テンミニッツTVはさまざまな情報を提供しておりますが、最も大きな目的は3つに集約されると思います。1点目は、全体像をつかむ、あるいはその全体像を提供できるか、ということです。2点目は、その全体像の中でさまざまに変化する、その変化のダイナミズムの方向性を示すことができるか、読み取ることができるか、ということです。3点目は、それが分かれば、どうしたらいいか、何を考えるべきか、どう手を打つべきか、という答えを提供できるか、ということです。この3つを大きな柱として、情報提供していきたいと思います。

 なぜこういうことを改めて繰り返しお伝えしているのかというと、小宮山宏先生のご議論の中で、いくつか大事な問いかけがありました。その問いかけの中心部分で、「両利きの経営」についてのお話がありました。元を正せばクレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』に対してチャールズ・A・オライリーとマイケル・L・タッシュマンの『両利きの経営』の考え方を示し、さまざまな点について問いかけているわけですが、今回は、この問題は実は経営だけではなく、大学あるいは国際関係、国際政治にも当てはまるのではないかという話をします。


●両利きの知識体系はどこから生まれるのか


 もともと新興企業と既存の大企業との葛藤、ジレンマについて、破壊的イノベーションと持続的イノベーションという形でクリステンセンなどが指摘してきたわけです。両者の関係を両利き、つまり探索と深化によって既存の体系を深化させる旧企業・旧経営に対して、探索を中心として新しい商品なり新しいビジネスなりを開発しようという新興の挑戦者という対立関係、競争関係と見たときに、深化と探索の両方を持たなければいけないということはその通りなのですが、実はわれわれの世界、例えば大学というのは、既存の体系を深化させる仕組みといっていいわけです。そういう意味でいうと、既存の体系を狭く深く追求することによって業績を出す方向に全体のシステムがなっているわけですね。

 では新しい挑戦はどこから生まれるかというと、狭く深く知識の体系をクリエイションしていきながら、その先端に挑戦がある、という位置づけなのですが、多分そうではないでしょう。つまり、全く別の思考方法、全く別の学問体系から新しい挑戦が生まれるのではないか、ということです。

 ではこの挑戦は、古い大学から生み出されるのか。新しい大学なり新しい知識を模索しているグループから出てくるのか。ここは大変興味深いところですし、今の大学、特に日本の大学がぶち当たっている一つの壁なのです。古く由緒ある大学は、深く狭くという方向性でいくと、新しい挑戦をどう生み出すのかという点に難点があるのです。

 ただし、古い大学の肩を持つわけではないのですが、世界中で「いい大学」といわれているのは古い大学なのです。オックスフォード大学であるとか、ハーバード大学であるとか、あるいはハーバードをはじめとするアイビーリーグなど、いずれも古い大学なのですね。新しい大学、あるいは新興挑戦者は、スタンフォードのような西海岸から生まれてきた大学などですが、日本でも、東京大学にしろ、慶應義塾大学にしろ、古い大学の方が今でも生き延びています。

 では、それはどういうことなのか。企業でいうと、古い企業が深くモノづくりをしている、あるいは旧来の商品を作っていて、新興の挑戦に対して比較的鈍感であったり、あるいは無視をしているうちにその挑戦に負けてしまうという「イノベーションのジレンマ」的なことが、大学の場合にはどうして簡単に起こらないのか。

 そこを考えると、大学の知識あるいは研究は、非常に分散的です。企業と違って、それぞれの研究者がそれぞれの研究を勝手にしていることが多いわけですね。そうすると、ある意味で多様性がある、ということで、それはリスク分散が自然になされているからではないか、とも考えられます。

 ただ、これはよく分かりません。つまり、新しい挑戦者というものは一体どこにあるのか。古い大学に残っているのか。古い大学の新しい要素から生まれているのか。あるいは、今までの研究だとか知識の体系とは全く別次元のところから生まれてくるのか。あるいは学問体系を横に動いた人がそれを達成することができるのか。まだ分かりません。ただ、ここの模索は非常に重要です。ということで、両利きの経営ではなく、「両利きの知識体系」、「両利きの大学」ということが1点目です。


●現代アメリカと中国に見る「トゥキディデスの罠」の構造


 2点目は、それを国際関係に応用すると何がいえるのかということです。「トゥキディデスの罠」という概念があります。国際政治学者でハーバード大学教授のグレアム・T・アリ...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。