●池田勇人と大平正芳の政策における戦略の重要性
岸田氏は宏池会です。宏池会は池田勇人がつくった団体で、池は池田氏からきています。岸田氏は宏池会の伝統を背負っていて、今は宏池会の代表です。宏池会の池田氏がやった政策の一つに所得倍増計画がありますが、岸田氏は「令和の所得倍増」と言います。言葉は綺麗ですし、是非やってもらいたいのですが、問題はそれをどうやってやるかです。
また、大平正芳氏は素晴らしい人で、「田園都市構想」と言いました。岸田氏はその言葉を借りて、デジタル田園都市構想といっています。言葉を借りればいいというものではないと思いますし、宏池会の伝統だと言いたいのであれば、私は反論したいですし、オープンディスカッションしたいのです。
池田氏はどういうときに所得倍増を考えたのでしょうか。彼が政権を手にしたのは1960年です。その前の日本は岸信介氏が大変な苦労しました。焼野原が残っているところから、まともな国になりたいと思ったときに、石炭産業が九州にありました。コークスをつくれる。世界中から鉄鉱を買ってこられます。鉄鉱を持っているのはカナダや、オーストラリアですが、陸地から持ってくるから高いです。日本は海岸に出てきた鉄鉱を買って、日本の海岸に最新の鉄鋼をつくりました。製鉄所でつくるから安くて性能がよいです。それで鉄鋼ができれば、造船ができ、造船ができれば、機械ができ、そして機械ができれば、自動車ができます。
それを、もともと役所にいた下村治という大変独特なエコノミストがロイ・ハロッドの投資乗数と輸出乗数を基に理論化しました。これは簡単な話で、生産がどのぐらい増えると、投資がどのぐらい増えるかという乗数があるのですが、産業構造から計算すると日本は相当高かったのです。1960年代は世界は大貿易時代でした。アメリカが強かったので、その投資力を輸出に向けたら、ものすごく伸びるというので計算したら、もう5年間で所得倍増できると出たのですね。それで、池田氏はすっかり感心して、それでいこうと言って、「所得倍増計画」をやりました。
もう一つやったことがあります。日本はお金がありませんでしたが、戦略産業にお金を集中させます。どうするかというと、当時の日本は農業人口が7割で、ほとんどの人が農協に入っていました。
その農協に預けていたお金を、全部共同組合と住専に出しました。それから、地方銀行をだんだん都市銀行に上げていって、それを興銀などの政策銀行に上げて、都市銀に上げて、それが鉄鋼や自動車といった戦略産業に入ります。お金がないのに、日本中の国民の持っているお金を全部、戦略産業に集中させました。これはものすごい国家戦略です。それと所得倍増をやりました。
では、大平氏はどうしたでしょうか。1980年がどういう年かというと、日本はその5年後に頭が高いということで、アメリカに叩き潰されます。アメリカを途中で追い抜いたので、ふざけるなということで、プラザ合意を締結します。それを大平氏はたぶん分かっていたと思います。東京に一極集中して、どんどん輸出している国の構造は良くないので、バランス・グロースで、田園都市構想なのです。きちんとやりましたが、それでもやられました。
●まずは日本が凋落した原因を探ることから始めるべき
宏池会の伝統を継ぐのなら、宏池会の先輩たちは当然アメリカやイギリスにお説教すればいいようなことは言いません。日本を救うのであれば、40年間ずっと低落していたものを持ち上げようとすると思います。だからまず日本がやるべきことは何かというと、1980年代以降の日本が凋落したトレンドを直視しろということです。
産業競争力は、先ほど言ったように、どんどん落ちました。そしてGDPも落ちました。原因は何だったかというと、プラザ合意と日米半導体協定です。プラザ合意は、日本が輸出しすぎるので、アメリカはそれを止めさせたかったのです。そのときの日本は、今の中国以上に輸出していました。どうするかというと、円高にすればいいのです。政治家が為替レートに口を出すのはタブーですが、アメリカの政治家にはそんなものは関係ないのでしょうか。ヨーロッパを全部説得して、プラザホテルに5カ国の関係者を呼びつけたのです。
日本は当時の大蔵大臣が行きましたが、彼はそこに15分間しかいなくて、すぐサインしました。もう全部シナリオができていたのです。サインした途端に、メディアが捉えて、円がバーンと上がります。日本の政府はたまらず、輸出ができなくなると言って、ものすごい財政支出で金利を下げたので、もっと流動性ができてしまいました。日本経済はそれを吸収できないので...