葛飾北斎の娘であるお栄は、「応為」という画号で独自の絵画表現を切り拓いた。北斎とは異なる、女性ならではの描き方は、特に身体表現に現れ、西洋画の陰影表現の色濃い影響を感じさせる。積極的に新たな画法を吸収し、後世の日本芸術に多大な影響を与えた親娘の絵の世界について、さらに深堀りする。(全4話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●親譲りの画力だった葛飾応為
―― ということで、今回のシリーズ講義では葛飾北斎で、北斎の人生とその芸術家としての変遷、その高まり、最期まで本物の画家になることをめざして生きてきた人生を見てきましたけれど、娘の応為さんもご自身の絵を描いていたというところなので、そこの部分をさらに掘り下げていきましょう。
第1話でも言いましたけれど、北斎のデビュー作と応為さんの絵を見ると、「えっ、これ、違うジャンルじゃないの?」というぐらいに変わってきていることが見えるのが、この親娘が歩んだ絵の世界の深みを感じさせるようなものもあり、そこを最後の1話でぜひ見てもらいたいと思います。
堀口 これまでお話ししてきた通り、北斎の娘のお栄は、葛飾応為として父の北斎の仕事を手伝っていました。ちなみに応為という画号の由来は、北斎に常に「おーい、おーい」と呼ばれていたからとか、もしくはお栄さんが北斎に対して「おーい、親父殿」というような呼びかけをしていたからだといわれています。
―― そういう「しゃれ」は江戸人っぽいですよね。
堀口 そうですね。しゃれですね。
―― 画狂老人卍という名前を付けたり、当時のそういうものは落語っぽいといいますか、しゃれっぽいところですね。
堀口 江戸らしい、しゃれている画号だと思うのです。北斎自身は2度結婚していまして、お栄さんは2人目の妻との間にできた三女と考えられています。お栄さんは絵師の元に1回嫁ぐのですけれど、夫の絵が下手だということで馬鹿にしてしまうのです。早々に離縁されたと伝わっています。
そして実家に戻ってきて、自分も絵師として筆を執りつつ、父親の画業を支えていくというところなのですけれど、これまでの講義でもご紹介した通り、部屋は片付けないし、家事も一切しないし、彼女はお酒も飲むのです。(おまけに)煙草も飲むし、非常に男勝りな性格で顎が大きく張り出していたので、北斎は「あご」と呼ぶこともあったとも伝えられている人なのです。
―― この絵がそうですけれど、これも顎がやや…。
堀口 そんな感じですよね。
―― しかも、この長めの煙管をズンと持っていて、性格が表されていそうです。旦那さんの絵が下手だと言う。それは北斎の絵をずっと見ているわけですから、比べられる旦那さんも気の毒といえば気の毒だと...