70代に入って「神奈川沖浪裏」を手がけた葛飾北斎。その老境はいかなる日々だったのだろうか。こたつから出ず、「ごみ屋敷」同然の家をアトリエとして絵を描き続けた北斎と、それを支えた娘の応為。北斎の弟子の露木為一が描いた『北斎仮宅之図』から見えてくるのは、創作に人生を捧げた画狂親子の奇矯で壮絶な生活だ。(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●北斎は老いの時間をどう生きたか…娘・応為との生活
―― ちょうどこれまでの講義で、前回最後に見たのが有名な『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」ということですが、これが何歳ぐらいでしたでしょうか。
堀口 これが70代のものですね。
―― 70代、現在でもそこそこのお年ですけれど、当時としてみれば、平均寿命は短いですけれど、意外と長生きされる方はけっこう長生きされているのですよね。
堀口 そうなのです。乳幼児の頃の死亡率が非常に高いので、平均すると、平均寿命が短くなってしまうのですけれど、20代を越えても元気な方というのは、今と変わらず何人もいらっしゃいますね。
―― しかし、70代から、またさらに絵に取り組んでいくというというのは、現代のわれわれの生きる姿としてもぜひ学ばなければならないですね。
堀口 本当にそう思います。
―― 特にいわゆる老境といいますか、老いの時間をどう生きたのかというのは非常に興味深いところなのですが、ここで前回の講義にも出てきた娘の応為さんとの関わり等も含めて、ぜひ見ていきたいと思います。そのへんはいかがでございますか。
●生涯に93回の引っ越し…こたつから出ずに絵を描いた老年の北斎
堀口 2人がどんな親子だったのかということがよく分かる史料がございますので、まずはそちらをじっくり見ていきたいと思います。
―― こちらですね。
堀口 はい。
―― これはずいぶんシンプルな絵ですね。
堀口 こちらは『北斎仮宅之図』という、仮宅というのは一時的に住む場所という意味です。北斎先生は生涯で93回引っ越しをしています。
―― 93回(笑)。
堀口 はい。(93回引っ越しを)なさったということが知られていますので、1カ所に長く暮らさないので、だいたいが「仮宅」という感じではあるのです。
堀口 こちらは、北斎の門人の露木為一という人が描いた、本所にあります榛馬場(はんのきばば)というところにあった北斎の仮宅です。ここに北斎が天保の末期頃に2~3年暮らしていたということなので、北斎が80代半ばで、娘の応為が40代頃のアトリエの様子という感じなのです。
―― まずこの絵です。北斎の顔をあえて柱で隠しているというのが、何か面白味を感じます。
堀口 はい。
―― ま...