「始皇帝からラストエンペラー(溥儀)までの全皇帝の4分の3は、非漢族だった」「西暦2年頃に6000万人だった漢人の人口は、三国志の騒乱期を経て、わずか400万人台へと激減した」……。中国の歴史を探っていくと、とてつもない事実に突き当たる。逃げ場のない広大な平原で起きる大飢饉と、幾度も幾度も南下してくる北族(北方遊牧民)。大きく塗り替えられていく歴史こそが、中国の真実なのである。その構図から生み出されるものを読み解いていくことで、はじめて中国史を深く理解できるようになる。(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●漢人が6000万人から500万人以下に…なぜ激減してしまったのか
―― 面白いデータが岡田(英弘)先生がここ(『皇帝たちの中国』)に書かれていて、始皇帝から始まって最後のラストエンペラーまで全皇帝を並べてみたときに、いわゆる「漢人」(漢民族)がどのくらいいるのかというところでいくと、「全体の4分の1」しかいなくて、4分の3が「非漢人」であると。
宮脇 この場合の「漢人」というのは、つまり秦・漢の、最初の始皇帝と漢の武帝の時代の漢人を「漢人」と呼べば、その人たち以外は、もう本当に残りは全部、北から入ってきているわけです、皇帝が。
―― ということですよね。
宮脇 元「鮮卑(せんぴ)」とか、元「モンゴル」とか。
―― だから、本当に激しいですよね。先ほど『三国志』の話が出ましたけれども、三国志の前が漢の時代ですね。で、漢の後漢で騒乱が起きたのが三国志というところになりますけれども……。
宮脇 そう、そして魏と呉と蜀になるわけです。
―― になるのですけれど、その前の、要するに漢の全盛期、西暦2年ぐらいの統計だと、いわゆる今先生がおっしゃった「漢人」がだいたい約6000万人弱ぐらいいたのが……。
宮脇 そうそう。すごいのです、人口統計があるのですよね。そして、それが最大なのです。17世紀、18世紀までそれが最大でした。
―― 最大なのですよね。で、その後、なんと恐るべきことに、日本人はこれ本当に想像がなかなかつかないのですが、三国志の時代の騒乱を経て、漢人の人口が全国でたった400万人台になってしまったと。
宮脇 500万人以下くらいになっちゃったということなのです。
―― 想像を絶します。
宮脇 想像を絶する減り方です。それはね、私はけっこうそのことを一所懸命説明するのですけれど、とにかくどこまで行っても同じ気候で、山やら川やらがあまりなくてベターとしていて、それで30年も40年も戦争していると、作物を誰も植えてくれないので、次の穀物が実っていないわけですよ。食べるものがないわけです。
―― 本当に飢饉、大飢饉の連続ですね。
宮脇 食べるものがどこにもないわけです。で、歩いて行っても歩いて行っても、どこも同じ。逃げる場所もないわけです。それで皆、餓死したのです。でも、20世紀だって餓死していますから、あそこは。
―― 文化大革命とか大躍進とか。
宮脇 大躍進なんて、要するに食べ...