●テロリストの第一、第二の狙い
皆さん、こんにちは。
チュニスにおきまして、日本人の観光客3人を含め、20人の外国人観光客がイスラムテロリストの手によって殺害されるという痛ましい事件がまた起きました。チュニスの国立バルドー博物館の遺跡やモザイクといった歴史的、文化的な遺産に対する攻撃、そして、そこにおける外国人観光客の襲撃は、一体何を意味するのでしょうか。
一言で申しますと、イスラム国(IS)との関係なども自認しているこのテロリストたちは、隣国のリビアで行ったように、チュニジアにもカオス(混沌)をつくり出し、そして、国民の間に亀裂を深めることにその狙いがあったかと思われます。
これをさらに考えていきますと、三つほどの解釈が可能であろうかと思います。第一は、すこぶる常識的な考えで、チュニジアの最も重要な産業である、歴史的にかつて繁栄した観光業を攻撃の目標にしたということです。第二は、チュニジアは北アフリカにおいてはもとより、アラブ、中東全体においても最も民主化が進んでいる国です。そして、このアラブの春の発端となった国においては、ムスリムであると同時に、民主主義者であるということを可能にさせるような試みや、さまざまな生き方やものの考え方の試みがなされてきました。つまり、敬虔な信者であるということと、法の支配を守る市民であるということ、すなわち欧米風に言うならば、公民、Civicであることを両立させるような生き方をテロリストが否定したというようにも考えられます。2011年の1月革命、いわゆるジャスミン革命後に、チュニジアにおいては第二共和国が形成されましたが、第二共和国におけるチュニジアの市民と、新しい政治エリートに対し打撃を与えることが、その狙いだったかもしれません。
●第三の、そして本質的な狙い
しかし、この観光業への打撃とは、私からすると、いささか現象的なもののように思われます。また、第二に、この公民的な考え方、Civicな生き方に対する攻撃ということも、確かにそうではありますが、もう少し本質に迫って見る必要があります。
根本的に申しますと、その二つの延長に関連しますが、三つ目は、イスラムと民主主義を結合し、イスラム信仰と民主主義的な法の支配、自由や人権といったような考え方を結合するような政治的な実験、まだ生まれたばかりのさまざまな試行錯誤に対して、打撃を加えるという狙いが大きかったのではないかと思われます。
●信仰と民主主義両立を試みていたチュニジア
2011年のアラブの春以来、アラブの全体として、民主主義、民主化を求めつつも、なおかつ混乱があちらこちらで生じているのは、ご案内の通りです。一番大事なこのイスラムと民主主義の両立を図るという問題の解決のために、チュニジアにおいてはさまざまなことが試みられました。例えば、選挙行動、投票行為、そして、男女両性の平等や法の支配、あるいはプルラリズム(複数政党政治)、そして、国民にきちんと物事を説明できる説明責任を持つ政府の存在、さらに西欧との共存を図るということ。こういう意味での寛容なイスラムというものが、チュニジアにおいては実験されていたのです。
こうした地域においては、民主主義とは、たとえそれが偶像崇拝であれ何であれ、全ての信仰や崇拝の自由を認めてこその民主主義なのです。ですが、こうしたことに対して、当然、今回のチュニジアのテロリストたちや、彼らに大きな影響を与えているISは、寛容であるはずがないのです。
チュニジアは、すこぶる小さな国であると同時に、均質な国です。アラブとイスラムがほとんど重なりを持つかのように、すこぶる均質な国ですので、こうしたチュニジアにおいては、民主主義とイスラムの両立を図る実験が成功する機会が最もあったのです。しかし、テロリストたちは、こうした成功の機会を断じて許さなかった。そういう実験を、身をもって阻止するということだったのです。
●博物館襲撃にみるテロリストの戦術の変化
あえて申しますと、このチュニジアの国会に隣接している地域のバルドー博物館の襲撃は、チュニジア、ひいては北アフリカにおけるジハーディスト、テロリストたちの戦術的な変化を象徴しているのではないでしょうか。この日までは、チュニジアの国防軍と治安部隊に対する個別的な攻撃、すなわち、イスラム主義者やテロリストからするならば、国家の暴力の象徴と考えていた軍や治安部隊に対する攻撃が行われてきました。しかも、それらは「ジャバル・チャーンビ」と呼ばれるようないわゆる山岳地域に限られていたのです。2012年、13年、14年などにおいて、軍の部隊をあちらこちらで待ち伏せしました。
かつてのウマイヤ朝のリーダーで、マグリブ、北アフリカのイスラム...