●最初は個人保証で介護施設をつくった
高橋 それと、僕は今、介護施設をやっています。
―― あれはすごいですよね、高橋さん。
高橋 あれは、2000年の4月の介護保険制度導入とともにスタートしました。2001年に1棟グループホームをつくって、2002年に1棟、2003年に1棟と、増やしていきました。
はじめの1棟のとき、先ほどの建売のときの話ではないけれども、「初めてですか?」「実績はありますか?」と銀行の人に聞かれるので、「ないですよ」と答えました。すると、「お金はお貸しできません」「グループホームでもお貸しできません」と言われました。それから、2棟目のときも、「お貸しできません」と、どの銀行も駄目なのです。
そこで、信用金庫に行きました。「信用金庫というのは、何のためにあるの?」と支店長さんに尋ねたら、「もちろん地元のお客さんのためですよ」と。「それだったら、これ(介護施設)は地元の人が建物を建てて、地元の人がそこに入居して生活するのだから、地元のために役に立つよね」と話し、そして「だったら、信用金庫はこういうものに出さないと意味がないのではないの?」と言ったら、「それはそうですね」と。「だけど、私の権限で2億円は出せませんから」と言うから、「ならば、本部を説得してよ」と言って、本部を説得してもらったのです。
そうしたら、3日ぐらいで電話がかかってきて、「高橋さん、OKになりました」と支店長から返事をもらったのです。「それはよかったね」と言うと、「ただし、一つだけ条件があります」と言う。「何だろう?」と聞いたら、「その連帯保証人は高橋さんです」と言うので、「え、2億円の保証を僕がするの?」と聞き返すと、「そうです」と。「なぜしなければいけないの?」と聞くと、「これを誰が運営するのですか?」と聞き返すので、「僕だよ」と答えた。「高橋さん、この運営は絶対成功すると思っているのではないですか?」と言うから、「もちろん思っているよ」と。「だったら、保証してもおかしくないですよね?」と。なるほど、筋は通っている。それで、やりましょうということになったのです。
―― なるほど。個人保証をしたのですか。
高橋 それで、2億円の個人保証を1棟目も2棟目もしたのです。それが3棟目になったら、もう実績ができたので、これまで全銀行が、全部駄目だったのが、今度は「OKです。出します」「介護施設に積極的に出します」ということで、3棟目が出きました。
●入居者が全然入らなかった31棟を6カ月で満室に
高橋 それで「よし」となって、そのあと2004年に北海道から九州まで、いきなり31棟つくったのです。
―― すごいですね。
高橋 でも、31棟つくったら、今度は入居者が全然入らない。
―― 入らなかったのですか?
高橋 あれは参りました。750人のヘルパーを雇っているのに、誰も入ってこないのです。「なぜ入ってこないのだ? 自分で仕組みを間違えたのかな?」と、1週間ぐらい考えましたよ。自分のビジネスモデルが失敗かどうか考えたが、「いや、絶対に間違っていない。このビジネスモデルは、絶対に今の日本にぴったり合っているはずだ」と。
でも、入らないのはなぜか。簡単です。「営業が悪いだけだ。単に営業力がないだけではないか。僕の仕組みは間違っていない」というのが結論でした。
それから、北海道から九州まで10人の営業だったけれども、そこに僕が携帯で毎日電話をして、「いいか、僕の言う通りやれ」と。「君たち、頭を使うな」と。「僕が言った通り動け」と伝えました。どこをまわるかというのは、「こうやって、ここをまわれ」、「1週間にいっぺんまわれ。そのときにティッシュは全部持っていけ」と言って、全部指示を出したのです。
それを3カ月ぶっ続けで行ったら、4カ月目からどーっと入ってきて、何と6カ月間で満室です。
●困難を乗り切り黒字化、2006年に上場へ
―― すごいですね。
高橋 それから、「よし、一気に行け」となって、また25棟、25棟と、連続して増やしていきました。2001年に1棟つくってから、今は2014年なので、13年でしょう。13年で250棟あるのです。
―― すごいですね。
高橋 ということは、平均20カ所ずつオープンしたということでしょう。でも、はじめの3年は1、1、1ですから。
---- でも、高橋さん、31棟全然入ってこなかったのは焦ったでしょう。
高橋 いやぁ、焦りました。会社がつぶれると思いました。毎月1億円ずつ、給料が出ていくわけですよ。3カ月で1億、1億、1億と、750人のために出ていく。それで、「やばい、これは三光ソフランがつぶれる。何とかしないと駄目だ」と思ったのです。
そこで「自分でやるしかな...