●新聞各紙の異なった位置づけ
マスコミと政治の距離の話をいたします。
安保法制をめぐる新聞各紙の位置を見ますと、見事なまでに位置付けができます。地方紙をこのように分けることももちろんできますが、全国規模で、東京、朝日、毎日、日経、読売、産経という位置付けは、多分正しいだろうと思います。
細かい問題に対して若干の違いがありますが、こういうスペクトラム、つまり左から右までの連続体の中で位置付けることが可能だというのは、なかなか面白いことです。これは、安保法制だけではなく、例えば原子力発電、あるいはその再稼働についても、また、対中国との外交関係にしても、かなり各紙の位置付けは違っていると思います。
昔は日本の新聞はどれを読んでも一緒だと言われたのですが、そのようなことはないのです。今は、読む新聞によって言っていることは相当違うということは、皆さん了解していただけると思います。
●民主主義の根本にある公的異議の申し立て
この問題は、実は言論の自由と民主主義の問題に関係してくるのです。そこで、もう一度、教科書的に確認したいことがあります。民主主義の根本としては、政治参加も重要な要素なのですが、もう一つは公的異議の申し立てというものがあります。これが、民主主義の根本なのです。
この公的異議の申し立てとは何かというと、例えば、反政府、政府批判をするメディア、あるいは野党が存在するということです。そのシステムを認めているか否かが、民主主義の一つの基本になります。公的異議の申し立ては、パブリック・コンテステーションといいまして、一般の言葉ではありませんが、通常は、言論の自由とか出版の自由と言われています。もう少し具体的な言葉で言えば、政府系の新聞やテレビしかないというのは問題だということです。それは、政府を批判するか否かは別として、政府系とは別の新聞社や放送局があっても、逮捕されたり出版禁止になったりしない。これが、民主主義の前提条件なのです。そういう意味でいうと、批判が許されるということです。別の言葉で言えば、言論が自由であるということは民主主義において重要なのです。
●客観報道がマスコミの基本
では、日本ではこの批判が許されないのか、政府批判をしたら逮捕されるのかといえば、そのようなことはありません。ただ、問題は、自主規制の連鎖が起きる...