●国際的に活躍する「アングロ・チャイニーズ」
白石 これは国際政治の議論ですが、中国が台頭したことで、世界経済に占める中国のシェアは、1920年代の半ばごろのマーケットのプライスで見ても、アメリカと同じくらいの規模になってきたのではないかと皆、予感しているわけです。そのときの国際政治の議論の一つはヘジモニック・シフトという議論で、要するに覇権が移動するときには必ず戦争があって移動していくという議論です。しかし、おそらくそういう議論は短絡的な議論で、現在は、全く違うことが起こるのではないかと思います。最近の国際政治の議論は、全然信用していません。
そうではなくて、今まさに神藏さんが言われた通り、中国の場合、私は「アングロ・チャイニーズ」が重要だと言っています。要するに東南アジアのチャイニーズは、中産階級から上がアングロ・チャイニーズで、だいたいバイリンガルかトリリンガルであり、彼らの多くは、アメリカやイギリス、オーストラリアで教育を受けています。人脈をどこでつくっているかというと、戦前には同じ姓を持っているとか、同じ出身地域であることがきっかけでしたが、今は関係ありません。アメリカのビジネス・スクールで一緒だったことがきっかけになったりします。
そうやって、中国のメイン・ランドのチャイニーズも、タイのチャイニーズも、インドネシア人も日本人も、日本人はだいたい女性ですが、それらが一緒になって仕事をしています。そうした例がいくらでもあって、アングロ・ジャパニーズやアングロ・タイも居るわけですが、そういう一種の「アングロ○○」、基本的には最低でもバイリンガルかトリリンガルで、ビジネスのやり方にアメリカ的、アングロ・サクソン的なものが入った人たちがいま急速に増えていますよね。それが一種の共通規範のようなものを共有する中で、仮にアメリカの力が落ちていっても、そうした規範のようなものの上に新しい秩序ができていくのではないかなと思います。
ただ先ほど申し上げたように、そういう人たちはアメリカだとまずビジネスの世界にいて、政府に入りそこで働いて、まだビジネスの世界に戻るという、かなりダイナミックな政治経済のシステムを持っています。それを持っていないところは、なかなか速度がついていっていないというイメージですね。
●アングロの存在感はグローバルな規模で拡大
白石 私がアングロと言っている人たちは明らかに増えています。講演でも時々言うのですが、私が東南アジアを最初に旅行したのは1972年です。40年以上前なのですが、その時にインドネシアを旅行すると、次のような感じでした。バンドゥンという西ジャワの町に行ったのですが、ジャカルタから西ジャワに向かう汽車の中で中国系のインドネシア人の老夫婦と知り合いになりました。その頃、私はインドネシア語がほとんどできなかったので英語で話をしていましたが、彼らが「うちに泊っていいよ」と言ってくれたので泊めてもらったのです。60代の夫婦でしたが、家に着くと、子どもはオランダ語で話しているのですね。当時はまだそういう時代でした。
ところが1980年代に入り、私も30代の半ばくらいになって、向こうの同じ年の人たちと話をし始めて分かったのですが、彼らはバイリンガルで片言の英語を話す人たちでした。そして、いま考えてみると、私よりも一回り若い息子の世代は、バイリンガルでしかもアクセントのない英語を話す世代になっているのですね。そのくらい急速に変わっているのです。インドネシア政府でもタイ政府でも、英語を話せないのに高級官僚になるとか、政治家、特に閣僚になるというのは考えられない世界にすでになっているということです。そういうことから言うと、日本も実はずいぶん英語を話せるようになっているのですが、スピード感は相当遅いような気がしています。
●「気の毒な行政官」を生む日本の統治機構
── 日本の役人のシステムの場合、20人ちょっと居るとすれば3分の1くらいの7、8人は留学していますが、この人たちも十数年全く英語を使わないようなことをやっているから、ものすごく差がついていますよね。そうすると非常に厳しいですよね。
白石 正直言って私は、日本の行政官は気の毒だと思います。私は、ならなくてよかったと思います。私の世代どころか、私より世代がだいぶ下の、うちに来ている人を見ていても、本当に気の毒だと思います。例えば軍人だと、日本の自衛隊でもそうですが、だいたい現場で2、3年仕事をすると、1、2年はまた教育されるわけですよね。世界のプロフェッショナルの中で、軍人ほど一生教育される人たちは居ないと思っています。行政官も本来であれば、3年とは言いませんが5、6年仕事した後、1、2年どこかで充電してものを考え、そこで新し...