●中華思想にみる、統治システムの淵源
―― 旧約聖書だと「神が人をつくった」とあります。中国の(古典的な)「革命思想」では、人民が幸せになるために、天が王様を選んで、王様に統べさせます。そして、その王様に徳がなくなった場合には、その王様が革命で倒れて、今度は新しい王様(皇帝)が立てられるというのが中華思想だと思います。やはりそういう発想がもとになっているのでしょうか。
橋爪 一神教だったら、人間がいる理由は「神がつくったから」です。儒教を見てみると、なぜ人間がいるかの説明がありません。よく分かりませんが、動物や何かと同じで、人間は自然にいるのです。しかし、あまり出来が良くなく、政府がないと無秩序状態で非常に身勝手に行動します。
そこで政治秩序が必要になって、天が「お前は王様になりなさい」と特定の人に王様になるように命じました。そうしたら、王様はおそらく武力を使って政府をつくり、「これが正しいのだから、これが法律だ。私の命令に従いなさい」と言って、皆に言うことを聞かせ、中国ができたという話です。
順序で考えてみると、人間は自分勝手にやっているだけなのでもともと無権利状態です。そして、そこから社会秩序は生まれません。王様が政府をつくったときに社会秩序が生まれます。契約はありません。このようにできているのです。
王様が皆に言うことを聞かせるとそれが法律になるのですが、これは王様の命令です。そうすると、王様が「君には権利があるよ」と言ってくれたときだけその人に権利があります。しかし、その権利は「なしにしよう」と言われた途端になくなってしまいます。取り上げる手続きがあるのは「人権」ではありません。「人権」には取り上げる手続きが存在しません。
●弱者がやるべきことは、大国について勉強して肝に銘じること
―― いわゆる西洋諸国からすれば、人権を認めないような国が覇権国家になっては困ると。要するに、今までの自分たちのつくり上げてきたものと全く違うものが世界を率いていく立場に立ったとすると、「これはとてもじゃないが、かなわん」となります。
中国からすれば、伝統的にそういう思想があるので「いやいや、それは西洋の方々がおっしゃることですよ」「東洋には東洋の道があるのです」と主張するだろうし、現に今もそうしていると思います。日本はこの狭間に立っていて、両方の論理が分からないこともない。お互いがそういう形で対立したとき、日本人としてはどう考えればいいのでしょうか。
橋爪 第一に、日本には日本のルールがあります。日本には歴史も文化もあるので、自分のことをよく知らなければいけません。まず日本はアメリカと中国よりも小さい。そのため、アメリカが機嫌を損ねたり、中国が少し怒ったりすると、ひねりつぶされてしまう弱者だと思わなければいけません。
弱者が真っ先にやること、そして絶対に手を抜いてはいけないことは、大きな国である強国が何を考え、どういう行動原理を持ち、どういう文化や歴史を持っているかを徹底的に勉強して、肝に銘じることです。その上で無理に機嫌を損ねることはないので、アメリカの気に障るようなことや、中国が怒るようなことはやらないに越したことはないのです。
ただし、今起こっている問題は、アメリカと中国がぶつかった場合にどうすればいいのかということです。
イソップ物語のコウモリのように、鳥と獣がケンカしているときに「(私は)空を飛べるから鳥です」とか「(私は)毛が生えているから獣です」とか調子のいいことを言って、あちらに行ったりこちらに行ったりすると、鳥と獣が平和を実現したとき、仲間外れになってしまい、洞穴に隠れているしかなくなります。そういう話がイソップ物語にありましたよね。
―― あります。
橋爪 それが一番いけません。小さな国はいっぱいありますし、小さな国はこの状況でどこも脅威を感じているのです。そのときに大事なことは、どちらが正しいか、どちらが国際秩序に平和をもたらすか、どちらが私たちや全ての国々にとって利益をもたらすかを冷静に考えて、グループをつくって、そちらをサポートすることです。
これは、片方に悪意を持っているからそうするのではありません。矛盾の原因を確かめて、こちらの言い分では世界は収まらない、こちらの言い分なら世界は収まるということを判断した上で、そちらのサポートをしなければいけません。
日本は歴史上の大きな過ちを犯しましたが、その際に自由や民主主義、国民の主権、法律がとても大事であることをよく学んだはずです。中国からは1000年間ほどいろいろな文化を学んだけれども、そういうことは学べませんでした。ですから、そのことを外から学び、それが私たちの財産...