●産業革命を契機に変化した教育への疑問
教育というものをどう考えるかについてお話ししたいと思います。パッチワークのように、ここをどうする、あそこをどうする、と個別に考えても、なかなかうまくいきません。それは、もう大きな流れの変化の時代を迎えているからなのです。
教育というものをこれまでの中で長期的に考えてみると、昔は、ごく一部の貴族社会やそういう限られた人たちが、教会付随の機関で学んだり、あるいは家庭教師を雇ったりする形で行ってきました。あるいはボローニャ大学(世界最古の総合大学の一つ)など、いくつかある古い大学に、本当に一握りの人たちが行っていたわけです。
それが変わったのはやはり産業革命でした。約200年前に産業革命が起こり、教育もまた急激に変わっていきました。先進国においては、一般の人々が学校に行き、教育を受け、社会の発展に尽くすという形になっていきました。そして、現在のような小学校、中学校、高等学校、大学という並びに、徐々に集約されていきました。
そうして、少しずつ教育を受けていき、22歳までであらかた大人になって、教養もつき、先端的な科学技術等の知識もついて、社会に出て働く。そして60歳まで働いて、「ご苦労さま」ということになる。そういう形になっていったのですが、考えてみると今、ここに大きな変化が出てきています。それは、22歳までに教えられる知識は、もはや人類が抱える知識の中のごく一部にすぎないということです。また、22歳で社会に出て、60歳までの38年間、ずっと会社に勤めて働いて辞めるということですが、38年続く会社はある意味で減ってきているわけです。そうすると、若い学生は、それを敏感に感じますから、「本当に今この勉強をしていていいのだろうか」という疑問も抱きます。
●これからは皆が生涯教え合う形に向かう
一方で、教える側からいうと、今の教育は非常に細分化しています。しかも、先生たちは、自分の分野は絶対に必要な学問だと思っています。例えば、哲学の先生は哲学が絶対に必要だと思っているのです。けれど、ほとんどの若い人は、18歳で哲学の講義を聞いても面白くないわけです。
では、これからどうなるのかというと、いま言ったような教育の対極にあるものとして、皆が生まれてから死ぬまでずっと、皆が成長し、教え、教え合うという形があり得...