●これほど厳しい条件では問題が多すぎる
今日は、ギリシャ問題を解き明かすということで、一般的に言われる「借金の返済」というギリシャ金融危機の問題、「国民投票」という手法の問題、「EUというシステム」の問題の三つについてお話ししたいと思います。
借りたものは返すのは一見当たり前のことですが、実はなかなか厄介な問題をはらんでいます。一つに、自分で借りたものではない「過去債務」をどのように返していくかという問題があります。また、今回のギリシャ金融危機では、新たな融資が国民の生活改善に向かわず、借金の返済に回ることも問題です。その意味では、日本の「住専問題」やアジア金融危機などを思い出します。これらのときには、借り手の責任なのか、貸し手の責任なのかが問題となりました。今回も、貸した方が悪いという説も出ていますし、借りた方がなぜ無責任に借り続けたのかを問う視点もあります。
今回の貸した方は、前回の金融危機で借金の問題をかなり解決したはずですが、いまだに尾を引きずっているようです。そこには、EU、IMF(国際通貨基金)、ECB(ヨーロッパ中央銀行)の主要3者の問題があるのですが、EUがギリシャに突きつけている条件が過酷すぎるのではないかということがあります。
この話を聞くと、私にも記憶があるのですが、アジア金融危機の際には、IMFに対する強い批判がありました。当時専務理事だったスタンレー・フィッシャー氏が名指しでやり玉に挙げられ、少しやりすぎではないか、新しい現象が起きているのに古い処方をしているのではないかと追及を受けました。そのときIMFは、歳出を削減しなさい、増税しなさい、高金利を覚悟しなさい、構造改革をしなさいと、韓国、タイ、インドネシアといった国々に迫ったのです。これが、その前に起きたラテンアメリカ金融危機への処方箋と全く同じだったことから、「IMFの役割は構造改革を迫ることなのか」と、マーティン・フェルドシュタイン氏をはじめとする当時のアメリカの経済学者たちに厳しく指摘されました。しかし、今回の処方箋もまたアジア金融危機と似ています。古い処方箋なのです。
そこでポール・クルーグマン氏やトマ・ピケティ氏などは、借金の棒引きは戦後責務の際にドイツも経験したではないかと批判しています。彼らは、「ドイツの一人勝ちなのに、これほど厳しい条件を突きつけるのは問題が多すぎる」と言っています。個人的には、戦後と現在では状況が違いますから、ドイツの戦後賠償と今回のギリシャ問題を一緒にしない方がよいと思いますが、彼らの言い分に納得する部分もあります。
●国民投票は違うやり方があっただろう
5、6年前に起きた最初のギリシャの金融危機に対する、歳出削減や年金がらみの厳しい処方箋は効果を上げられませんでした。アイスランドはリーマンショック以降、大変な危機に陥りましたが、見事に立ち直りました。それに比べて、ギリシャはどうして改革できなかったのかと多くの人が不審に思っています。また、借りている方が国民投票によってEUの改革案を採決するのは、筋が違うのではないかといった批判もあります。国民投票はむしろ逆効果となっており、EUは今、ギリシャの国民投票前よりも厳しい案を提示しようとしています。
実は、ギリシャが国民投票を計画したのは今回が最初ではありません。前政権のゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ首相も2011年に、国民投票に訴えたいと言ったことがあります。ところが、これほど切迫した状況で1カ月後に国民投票を行うとは何事だと、市場から非常に強い反発を受け、中止した経緯があります。
ところで、EUから提示された条件を国民投票でNOと言ったら、民主主義の勝利なのでしょうか。私自身の考えでは、国民投票をするなら、もう少し違うやり方があっただろうと思います。一つには、争点の設定が誤っています。EU改革案の賛否を問う投票ではなく、ギリシャの改革案の賛否を国民に問うべきでした。ただ難しいのは、ギリシャの改革案の賛否を国民に問うても、自分たちで決定できる部分がギリシャの範囲内に限られる点です。金融危機は国際問題ですから、自己決定をしても他人、他国には及びません。ですから、最初の問題設定をどうしたらよいのか、よく考えなくてはなりません。
それと関連して、今回の投票は選択肢が明確ではありませんでした。本来、EU改革案に対するYESかNOではなく、A案、B案、C案を示して、それぞれの選択肢の根拠、データ、実現・実行可能性、将来の影響、将来の予測を十分議論した上で、国民投票をすべきでした。それなら、国民投票の意味や意義もまだ分かります。しかし今回は、国民投票という形を取って、緊縮財政に対するポピュリズム的な鬱憤晴らしをしたに過...