社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2019.02.13

混迷の時代を生き抜くための「知の体力」

 現代は「VUCA(ブーカ)の時代」と言われます。VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の頭文字をつなげた言葉で、混迷する現代社会を言い表すキーワードとして、近年よく言われるようになりました。

 不安定で、不確実で、複雑で、あいまい。そんな答えのない時代をどう生き抜くか。そのために必要なのは「知の体力」なのだと、細胞生物学者にして歌人というユニークなキャリアをもつ大学教授、永田和宏先生は説きます。今回はそんな永田先生の「知の鍛錬法」の一端をご紹介しましょう。

新聞連載が本になった

 「知の体力」は永田先生の造語です。大学での教員人生を通して多くの若者を勇気づけてきた永田先生は、その名も『知の体力』(新潮新書)という本を出版しています。この本は、京都新聞での永田先生の連載「一歩先のあなたへ」を元にしつつ、大幅に改稿して約三倍になるほど加筆されたもの。新聞連載は若者へのメッセージとして書かれたものでしたが、道しるべを求める大人の愛読者も多かったようで、2018年5月に上梓され、10月時点ですでに増刷4刷という好評の一冊です。

 永田先生がまず指摘するのは、「問題に答えがあるとは限らない」ということです。たとえば、沖縄基地問題、原発問題、少子高齢化問題。世界に出れば、宗教問題、難民問題、民族問題などなど。答えのない問題は山積しています。ところが、高校までの試験の「問題」には、その多くは、正しい答えが、しかもひとつだけあるということになっています。考えてみるとこれは怖いことではないか、というのです。どこかに正解があって、その正解を誰か賢い人や偉い人が知っている。そんな呪縛にとらわれたまま、大学を出て社会人になる人ばかりが増えるとすると、一体世の中はどうなるのでしょう。

 答えのない問題がひしめく現実の社会は、定石では太刀打ちできません。そこで生き抜くためには、想定外の問題について自分なりに対処するための知力が求められます。このときに大事なのは、「自分で考える」ことです。そのためには、相手に伝わるよう懇切丁寧に説明すること、能動的に聞くこと、そして、質問する力が大切だと永田先生は言います。

 学生の「考える力」を鍛えるために、永田先生は大学の講義でわざとウソをつくことがあるそうです。そして講義の終わり近くに「さて、今日私が話した内容には、ウソがひとつあります。次回までに、どこが間違っていたか考えてください」などと言うのだとか。もちろん学生は驚きます。授業で先生がわざと間違ったことを教えるなんて…。自分で考える力を身につけてほしい、言われたことを鵜呑みにしないで自分の頭で考えてほしいという永田先生の深い親心がわかるのは、きっと卒業後何年も、あるいは何十年もしてからになるのでしょう。

読書で「知の体力」を鍛える

 こんなホットでチャーミングな先生に学べる大学生は幸せですが、すでに大学を卒業し、社会人になっている大人たちはどのようにして「知の体力」を鍛えればいいのでしょうか。そのとき強い味方になるのが読書です。読書は、知らない世界を見せてくれます。他者の考えに触れることができます。そして、科学的な思考の方法を教えてもくれます。永田先生は自分のバイブルとも言える一冊として『時間と自己』(木村敏著)を挙げ、何度読んでも新しい発見があり、得るものは尽きないと書いています。

 そしてまた、「こんなに素晴らしい思想を、知を、わずか600円ほどの金を出すだけで分けていただいてしまっていいのだろうか」と思うとも言います。そんな貴重な先達の知の結晶を、惜しげもなく分けてもらっている。そういう知への敬意を「私たちはこの流通経済の中で置き忘れているのではないか」と警鐘を鳴らしもします。

「憧れの人」をもつ

 もうひとつの素敵な方法として、永田先生は「人に憧れる」ことの素晴らしさを説いています。永田先生は、ノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹先生に憧れて京都大学理学部の物理学科に入りました。さいわい湯川先生の退官前の最後の授業に間に合ったそうで、当時を振り返るエピソードを同著で紹介しています。

 「通称湯川記念館と呼んでいた基礎物理学研究所のサロンのような教室で、物理学通論という講義を毎週1コマ、一年間受けることになった。午後の1時間半。湯川先生にとってもほとんど孫に近い学生たちである。定年前ということもあって、いかにもリラックスして楽しそうに話をされていたのを覚えている」

 この贅沢で貴重な経験は、その後、50年をこえる永田先生の研究者人生を支えてくれているそうです。そんな一生の「先生」に出会える人生は幸せですね。

自分の可能性に挑戦したいすべての人へ

 学ぶことで可能性を広げる。その時に自分の可能性を自分で摘み取らないこと。「自分はしょせんこの程度」と自分を限らないこと。安全をとるか、面白さをとるか、どちらを選ぶかは、特に進路選択に関わる場合は、その後の人生をどうやり過ごすのかに直結する問題となります。

 ただ、面白さをとる方が、きっと大変で、トラブルがあったり、失敗もしたりするでしょう。「でも、最初から安全な方を選んで何かが変わる可能性は極めて低い。いったんは自分の可能性にチャレンジしてみてはどうか」と、若者に限らず、あらゆる挑戦したい人の背中を押してくれています。

<参考文献>
・『知の体力』(永田和宏著、新潮新書)
https://www.shinchosha.co.jp/book/610764/

<関連サイト>
京都産業大学 総合生命科学部 永田研究室
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nagata/index-j.html
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
自分を豊かにする“教養の自己投資”始めてみませんか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

日本でも中国でもない…ラストベルトをつくった張本人は?

日本でも中国でもない…ラストベルトをつくった張本人は?

内側から見たアメリカと日本(1)ラストベルトをつくったのは誰か

アメリカは一体どうなってしまったのか。今後どうなるのか。重要な同盟国として緊密な関係を結んできた日本にとって、避けては通れない問題である。このシリーズ講義では、ほぼ1世紀にわたるアメリカ近現代史の中で大きな結節点...
収録日:2025/09/02
追加日:2025/11/10
2

近代医学はもはや賞味期限…日本が担うべき新しい医療へ

近代医学はもはや賞味期限…日本が担うべき新しい医療へ

エネルギーと医学から考える空海が拓く未来(3)医療の大転換と日本の可能性

ますます進む高齢化社会において医療を根本的に転換する必要があると言う長谷川氏。高齢者を支援する医療はもちろん、悪い箇所を見つけて除去・修理する近代医学から統合医療への転換が求められる中、今後世界の医学をリードす...
収録日:2025/03/03
追加日:2025/11/19
3

知ってるつもり、過大評価…バイアス解決の鍵は「謙虚さ」

知ってるつもり、過大評価…バイアス解決の鍵は「謙虚さ」

何回説明しても伝わらない問題と認知科学(3)認知バイアスとの正しい向き合い方

人間がこの世界を生きていく上で、バイアスは避けられない。しかし、そこに居直って自分を過大評価してしまうと、それは傲慢になる。よって、どんな仕事においてももっとも大切なことは「謙虚さ」だと言う今井氏。ただそれは、...
収録日:2025/05/12
追加日:2025/11/16
今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授
4

「宇宙の階層構造」誕生の謎に迫るのが宇宙物理学のテーマ

「宇宙の階層構造」誕生の謎に迫るのが宇宙物理学のテーマ

「宇宙の創生」の仕組みと宇宙物理学の歴史(1)宇宙の階層構造

宇宙とは何かを考えるうえで中国の古典である『荘子』・『淮南子(えなんじ)』に由来する「宇宙」という言葉が意味から考えてみたい。続いて、地球から始まり、太陽系、天の川銀河(銀河系)、局所銀河群、超銀河団、そして大...
収録日:2020/08/25
追加日:2020/12/13
岡朋治
慶應義塾大学理工学部物理学科教授
5

宇宙の理法――松下幸之助からの命題が50年後に解けた理由

宇宙の理法――松下幸之助からの命題が50年後に解けた理由

徳と仏教の人生論(1)経営者の条件と50年間悩み続けた命題

半世紀ほど前、松下幸之助に経営者の条件について尋ねた田口氏は、「運と徳」、そして「人間の把握」と「宇宙の理法」という命題を受けた。その後50年間、その本質を東洋思想の観点から探究し続けてきた。その中で後藤新平の思...
収録日:2025/05/21
追加日:2025/10/24