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『旋回する人類学』でめぐる文化人類学の軌跡と現在地
文化人類学とは何か。イメージができそうで意外と説明するのが難しい。そんな学問ではないでしょうか。この問いに対して、一つの道しるべともいうべきものを示してくれる本があります。『旋回する人類学』(松村圭一郎著、講談社)です。
著者は岡山大学文学部准教授である文化人類学者の松村圭一郎先生で、『旋回する人類学』のなかで文化人類学を「異文化との出会いを通して自分たちのことを理解しようとする学問」だと言います。
しかし同時に、文化人類学は一言では言い表すことができる学問ではないと説きます。そしてその理由として、「文化人類学が何度も大きなパラダイム・シフト(=転回)を経験してきた」とも述べています。
そこで松村先生は『旋回する人類学』で、「人間の差異」「他者理解」「経済行動」「秩序」「自然と宗教」「病と医療」といった6つのテーマごとに、黎明期から現在までの代表的な文化人類学者やその主著に注目しつつ、文化人類学の転回と変遷を「旋回」と称し、スパイラル型にたどっていきます。
そのための「人間の文化の違いとは何か」という問いを立て、「類似した存在のなかにあえてうみだされてきた差異」にたどり着きます。例えば、人類学の先駆者ともいえるレヴィ=ストロースは、構造という概念を使い、人間の差異の根底には普遍的原理があって、さまざまな差異はその普遍性のうえに築かれていることを示すことによって、現代思想に一大旋風を巻き起こしました。こうして、「未開と文明のあいだの乗り越えがたい断絶が接続されたのだ」と、松村先生は説きます。
2章「他者理解はいかに可能か」では、2つ目のテーマである「他者理解」について、人類学者たちの試行錯誤の過程をたどっています。人間の「差異」に注目して誕生した人類学は、「自分達とは異なる他者を科学的に理解すること」を学問の正統性の根拠として発展していきます。
ところが1960年代、人類学が自然科学と同じような科学であることに疑問が呈されるようになりました。そのため、人類学の他者理解への道のりをふたたび振り出しに戻した「他者理解はいかに可能か」という問いは、「そもそも他者理解など可能なのか」という新たな問いへと旋回しています。
3章「人間の本性とは?」では、3つ目のテーマである「経済行動」に注目し、人類学が異なる他者を理解する学問として発展してきたことの根底にある、「人間の本性」をめぐる論争を展開しています。
経済学が前提とする経済合理的な人間像は、普遍的な人間の本性なのか、それとも市場経済化した近代社会にだけ特有なものなのかといった論点が、20世紀後半の人類学における大きな争点になっていきます。
しかし、実体主義者と形式主義者の批判の応酬は、双方が依拠してきた前提そのものが大きな変化にさらされたことにより、1980年代以降急速にしぼみます。それによって、人類学は新たに旋回することとなります。
人類学は、西洋と非西洋との出会いから生まれました。そして、非西洋のさまざまな民族の研究をとおして、「未開」とされた国家をもたない社会の秩序が存在することを知ります。西洋的観点から見れば歴史も国家もないとされてきた非西洋の「未開社会」ですが、その社会にも秩序をつくりだすダイナミックな歴史があり、それは西洋の「国家」をもつ社会と変わりません。
そのような秩序のあり方を、「国家や資本主義が生まれると、生活の隅々までがそのシステムに組み込まれて一変すると私たちは思ってしまうだが、グレーバー(アメリカの人類学者)は、そうした全体的なものは想像の産物にすぎないという。現実はそうした想像よりもつねに多様で不均質で混乱している。季節的に異なる政治体制のあいだを行きつ戻りつするような可変的なものである」と、松村先生は述べています。
5章「自然と神々の力」では、5つ目のテーマである「自然と宗教」をめぐって、自然に神秘的な力を見いだしてきた人間の営みから、人間はなぜ神秘の力にすがるのかについて探究しています。
人類学の概念を用いて宗教の神秘的な現象を理解可能なものにしうることに意義を見いだしたターナー(イギリスの文化人類学者)や、アメリカ先住民の研究をもとに人間だけが超越的な視点をもつと考えていることを前提に立つ「パースペクティヴ主義」という存在論を提起したカストロ(ブラジルの人類学者)など、対象となる人びとの見方自体をみずからの思考の様式や生き方として実践してく「科学から下りた人類学」の試みを取り上げています。
6章「病むこと、癒やすこと」では、6つ目のテーマである「病と医療」について、病むことと癒やすことをめぐる人類学の歩みを掘り下げています。
医療人類学を牽引してきたアメリカのクラインマンは、「医療」を「そもそもひとつの文化システム」であり「ヘルス・ケア・システムとして全体論的に研究すべき」と論じ、「ケア」を「人間の発達のプロセス」であり「“分かち合い”のプロセス」だと指摘しています。
科学そのものが人類学の研究対象になりはじめた時代のなかで、医療人類学は近代医療という巨大システムへの挑戦でもあった過程を詳細しながら、未知なる人類学の旋回へとつないでいます。
19世紀後半に始まった文化人類学の約150年の歴史は、人類の近代化の過程でもありました。人類学が長いあいだ依拠してきた「未開」と「近代」の二分法を問い直すことが、20世紀後半の人類学の変化を駆動してきました。
しかし、20世紀後半以降の人類学は、「未開」と「文明」、「西洋」と「非西洋」、「前近代」と「近代」といった大きな「断絶」を前提とする観点への挑戦でもありました。そのような人類学の挑戦を、グレーバーは「壁を爆破する」と表現しました。
そして松村先生は、特に1970年代以降に「科学的であること」や「客観的であること」の意味が根底から問われてきたことにふれて、本書で取り上げられた人類学者たちを代弁するように、「客観的でありさえすれば世界はよりましになるのか」と問い返すだろうと述べています。
そのうえで、「どのようにして私たちが住まう世界を“知る”ことができるのか」(=認識論)ではなく、より根源的な「私たちが知っている世界はどのように“ある”のか」(=存在論)という問いこそが問われるべきだと説いています。
スパイラル型に旋回し、前言撤回につぐ前言撤回で人類学のあらたな地平を切り拓いてきた人類学者たちの実践が記された本書は、近代化の150年の歴史をふまえた現在地を見定めつつ、これからの150年に起こりうると予想されるさらに大きな人類のパラダイム・シフト(=転回)の備えとなる、貴重な一冊です。
著者は岡山大学文学部准教授である文化人類学者の松村圭一郎先生で、『旋回する人類学』のなかで文化人類学を「異文化との出会いを通して自分たちのことを理解しようとする学問」だと言います。
しかし同時に、文化人類学は一言では言い表すことができる学問ではないと説きます。そしてその理由として、「文化人類学が何度も大きなパラダイム・シフト(=転回)を経験してきた」とも述べています。
そこで松村先生は『旋回する人類学』で、「人間の差異」「他者理解」「経済行動」「秩序」「自然と宗教」「病と医療」といった6つのテーマごとに、黎明期から現在までの代表的な文化人類学者やその主著に注目しつつ、文化人類学の転回と変遷を「旋回」と称し、スパイラル型にたどっていきます。
差異・他者理解・人間の本性から新たな旋回へ
1章「人間の差異との格闘」では、1つ目のテーマである「人間の差異」をめぐって、人類学が黎明期である19世紀後半から始まります。当時、人類学という学問に最初に課された使命は「人類が一つの種だと証明すること」でした。そのための「人間の文化の違いとは何か」という問いを立て、「類似した存在のなかにあえてうみだされてきた差異」にたどり着きます。例えば、人類学の先駆者ともいえるレヴィ=ストロースは、構造という概念を使い、人間の差異の根底には普遍的原理があって、さまざまな差異はその普遍性のうえに築かれていることを示すことによって、現代思想に一大旋風を巻き起こしました。こうして、「未開と文明のあいだの乗り越えがたい断絶が接続されたのだ」と、松村先生は説きます。
2章「他者理解はいかに可能か」では、2つ目のテーマである「他者理解」について、人類学者たちの試行錯誤の過程をたどっています。人間の「差異」に注目して誕生した人類学は、「自分達とは異なる他者を科学的に理解すること」を学問の正統性の根拠として発展していきます。
ところが1960年代、人類学が自然科学と同じような科学であることに疑問が呈されるようになりました。そのため、人類学の他者理解への道のりをふたたび振り出しに戻した「他者理解はいかに可能か」という問いは、「そもそも他者理解など可能なのか」という新たな問いへと旋回しています。
3章「人間の本性とは?」では、3つ目のテーマである「経済行動」に注目し、人類学が異なる他者を理解する学問として発展してきたことの根底にある、「人間の本性」をめぐる論争を展開しています。
経済学が前提とする経済合理的な人間像は、普遍的な人間の本性なのか、それとも市場経済化した近代社会にだけ特有なものなのかといった論点が、20世紀後半の人類学における大きな争点になっていきます。
しかし、実体主義者と形式主義者の批判の応酬は、双方が依拠してきた前提そのものが大きな変化にさらされたことにより、1980年代以降急速にしぼみます。それによって、人類学は新たに旋回することとなります。
秩序・自然と宗教・病と癒やしから未知なる旋回へ
4章「秩序のつくり方」では、4つ目のテーマである「秩序」について、人類学者が見いだしてきた、「野蛮」とされてきた人々がどのように「社会」のまとまりを維持し、秩序をつくってきたのかに着目しています。人類学は、西洋と非西洋との出会いから生まれました。そして、非西洋のさまざまな民族の研究をとおして、「未開」とされた国家をもたない社会の秩序が存在することを知ります。西洋的観点から見れば歴史も国家もないとされてきた非西洋の「未開社会」ですが、その社会にも秩序をつくりだすダイナミックな歴史があり、それは西洋の「国家」をもつ社会と変わりません。
そのような秩序のあり方を、「国家や資本主義が生まれると、生活の隅々までがそのシステムに組み込まれて一変すると私たちは思ってしまうだが、グレーバー(アメリカの人類学者)は、そうした全体的なものは想像の産物にすぎないという。現実はそうした想像よりもつねに多様で不均質で混乱している。季節的に異なる政治体制のあいだを行きつ戻りつするような可変的なものである」と、松村先生は述べています。
5章「自然と神々の力」では、5つ目のテーマである「自然と宗教」をめぐって、自然に神秘的な力を見いだしてきた人間の営みから、人間はなぜ神秘の力にすがるのかについて探究しています。
人類学の概念を用いて宗教の神秘的な現象を理解可能なものにしうることに意義を見いだしたターナー(イギリスの文化人類学者)や、アメリカ先住民の研究をもとに人間だけが超越的な視点をもつと考えていることを前提に立つ「パースペクティヴ主義」という存在論を提起したカストロ(ブラジルの人類学者)など、対象となる人びとの見方自体をみずからの思考の様式や生き方として実践してく「科学から下りた人類学」の試みを取り上げています。
6章「病むこと、癒やすこと」では、6つ目のテーマである「病と医療」について、病むことと癒やすことをめぐる人類学の歩みを掘り下げています。
医療人類学を牽引してきたアメリカのクラインマンは、「医療」を「そもそもひとつの文化システム」であり「ヘルス・ケア・システムとして全体論的に研究すべき」と論じ、「ケア」を「人間の発達のプロセス」であり「“分かち合い”のプロセス」だと指摘しています。
科学そのものが人類学の研究対象になりはじめた時代のなかで、医療人類学は近代医療という巨大システムへの挑戦でもあった過程を詳細しながら、未知なる人類学の旋回へとつないでいます。
パラダイム・シフト(=転回)の備えとなる一冊
最終章となる7章「現在地を見定める」では、前述した6つのテーマを通して、「人類学の現在地を見定める」ことがテーマとなっています。19世紀後半に始まった文化人類学の約150年の歴史は、人類の近代化の過程でもありました。人類学が長いあいだ依拠してきた「未開」と「近代」の二分法を問い直すことが、20世紀後半の人類学の変化を駆動してきました。
しかし、20世紀後半以降の人類学は、「未開」と「文明」、「西洋」と「非西洋」、「前近代」と「近代」といった大きな「断絶」を前提とする観点への挑戦でもありました。そのような人類学の挑戦を、グレーバーは「壁を爆破する」と表現しました。
そして松村先生は、特に1970年代以降に「科学的であること」や「客観的であること」の意味が根底から問われてきたことにふれて、本書で取り上げられた人類学者たちを代弁するように、「客観的でありさえすれば世界はよりましになるのか」と問い返すだろうと述べています。
そのうえで、「どのようにして私たちが住まう世界を“知る”ことができるのか」(=認識論)ではなく、より根源的な「私たちが知っている世界はどのように“ある”のか」(=存在論)という問いこそが問われるべきだと説いています。
スパイラル型に旋回し、前言撤回につぐ前言撤回で人類学のあらたな地平を切り拓いてきた人類学者たちの実践が記された本書は、近代化の150年の歴史をふまえた現在地を見定めつつ、これからの150年に起こりうると予想されるさらに大きな人類のパラダイム・シフト(=転回)の備えとなる、貴重な一冊です。
<参考文献>
『旋回する人類学』(松村圭一郎著、講談社)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000375356
<参考サイト>
岡山大学文学部 松村圭一郎先生の研究室
http://www.cc.okayama-u.ac.jp/~kmatsu/
『旋回する人類学』(松村圭一郎著、講談社)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000375356
<参考サイト>
岡山大学文学部 松村圭一郎先生の研究室
http://www.cc.okayama-u.ac.jp/~kmatsu/
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