●第1次ポストモダン世界大戦の始まり
皆さん、こんにちは。
今日は、誠に残念な話題になります。パリにおいて11月13日夜、大虐殺とも言うべき誠におぞましい事件が起きました。おそらく歴史を後世から振り返ったとき、この11月13日夜のパリの大虐殺ともいうべき事件は、かつてのさまざまな歴史の転換点がそうであったように、世界に新しい時代、新しい秩序、もしくは無秩序がもたらされた日として思い起こされるかもしれません。
ローマ教皇のフランシスコ法王はこのテロ攻撃を「disorganized」、まとまりを欠く第3次世界大戦の一部であると表現いたしました。まとまりを欠く、あるいは、未組織の、組織化が必ずしもされていない世界大戦という意味でありますが、これは、私が最近作家の佐藤優さんとの共著、『第3次世界大戦の罠』(徳間書店)でいくつか触れた点とも共通しています。
しかし、もっと正確に申しますと、今回のテロというよりはほとんど組織された、そして訓練された部隊、コマンドーが、パリ市内において同時に人々を虐殺するという事件が起きたわけですが、これは一種のポストモダン的な歴史現象ではないかと思います。
あえて言えば、非常に大胆な定義を仮説的に提示しておきますと、第1次ポストモダン世界大戦、あるいは、第1次ポストモダン世界戦争とも呼ぶべきものが始まったということではないかと思います。つまり、これまでの私たちが知っていた世界大戦、すなわちスーパーパワー、大国、強国、こうした国々がブロックを持って陣営に分かれ、国対国という形で争う、すこぶる古典的にして近代的な戦争とは違う歴史現象が起きたということです。
●日常生活の破壊にみる今回のテロの本質
すなわち、21世紀に入りまして、モダニズム、近代主義、西欧の振りかざしてきた近代主義的な概念や意味が成立する条件、あるいは、人々に完全に受け入れられる条件をもはや失いつつある、そうした時代、あるいはそのように思われた時代を仮にポストモダンと呼ぶことにいたしましょう。そうしたときに、これまでの世界戦争、世界大戦と違うのは、このまさにポストモダン的なゆえんです。すなわち、国家対国家というものではなく、さらにムスリム対非ムスリムというわけでもありません。あるいは、テロリスト対テロリスト、テロリスト対反テロリスト、すなわち、テロリズム対国家、こうした争いというわけでもないのです。
もっと根源的にポストモダン的な現象として、今回の事件から私たちが学ぶべきは、価値観、あるいは生活観、すなわち、そこには人々の日常生活があり、そこに人々の幸せな仕事の場がある。そして、娯楽というものを楽しむ。音楽や芸術、そうしたことに楽しみ、勤しむ人々を憎悪し、かつそうした人たちに対して正面から攻撃したという誠におぞましい事件が、今回のテロの本質に関わる問題であるということです。
何よりも襲われた場所が、例えば、9・11がそうであったように、世界の資本主義や帝国主義の本拠地というわけではありません。また、9・11が試みたような国務省やホワイトハウスに対する攻撃、あるいは攻撃しようとした意図、すなわち政府の官公庁を襲ったわけでもありません。あるいは、国防省、ペンタゴンといった軍事施設や軍事的な本部をターゲットにして攻撃を仕掛けたわけではありません。今回の11月13日の夜の大虐殺は、そこに金曜日の夜、翌土曜日や日曜日を控えて、夕方からそぞろ歩き、あるいは週末を楽しもうとして劇場、スポーツ競技場や料理店、レストランやバーなどに繰り出し、そこで楽しんでいた普通の人々の普通の生活、そして、そのかけがえのない日常生活というものを、正面から否定し嘲弄するような行為に出たわけです。
●パリがターゲットとされた理由
こうした点は、まさに西側に限らず、その犠牲者の中にムスリムたち、イスラム系の市民たちも含まれていたことからも知られるように、日常性や平和で安定した生活というものに対する憎悪ということに特徴づけられています。こうした憎悪と同時にパリという街がなぜ選ばれたのか。パリは芸術の都であり、花の都でもあります。そして、そこには最も健康的な人々が住むと同時に、しかしある面、繁栄と贅沢、消費の象徴でもある。IS、あるいは今回のテロに従事したような戦士たちやテロリストたちからするならば、まさにそこは背徳の都、悪徳の都であるということだったのです。
つまり、パリを攻撃しながら、その攻撃はパリそのものに向けられたという面だけではなく、そこに住む人々、あるいはパリによって象徴されている欧米、もしくは世界中の消費生活、その元で幸せを享受している人々をターゲットにしたという、誠におぞましい事件であったわけです。