●「国家間」の枠を超えたポストモダン世界戦争
皆さん、こんにちは。
前回、私は今回のパリで起きたおぞましいテロ、パリの大虐殺、あるいはシリアとイラクにまたがったISと他の勢力や国との戦い、さらにシナイ半島を飛び立ったロシアの旅客機における爆破事件、こうしたことの総体として、いまやこの現代世界においてはこれまで私たちが知っていた戦争とは違う形の衝突、そして、しかもグローバルな形でいえば、世界大戦とは違う新しいタイプのポストモダン的な世界戦争、第1次ポストモダン世界戦争ともいうべき現象が生じているということについて触れました。
それでは、何がこの対決、衝突をポストモダンにしているのかということについて考えてみたいと思います。答えはすこぶる単純です。それは、この新しいタイプのポストモダンの世界戦争というものが国家間だけで行われるものではないということです。それはIS自体がそうであるように、領域を支配しているような準国家的な主体がありますし、あるいはISに連なっているような各地の団体の中には、表面的にはある独自のアイデンティティを持ったような文化集団、ある種の独自性を持ったような自立的な社会集団の装いを持っていますが、本質的にはテロリスト団体ということになるのです。
こうした集団が一方にあり、他方において国家が存在するという、こういうような形こそが新しい、私たちが歴史上ほとんど経験しない未曽有の戦争のタイプになっているわけです。つまり、これは、国家間の典型的な戦争ではないのです。
●国家の力を無視した文明的衝突が引き起こす争い
この新しいポストモダンの世界戦争というべきものは、現象的、表面的にいえばISによって引き起こされたかのように見えますが、問題は、ISの問題だけに特化して考えるのはおかしいということです。ISが引き金となって現在の中東を混乱に陥れ、パリにおける無差別の大虐殺を行うことになったのは、現代世界においてしばしばfailed state(破綻国家)というものが生じているということと無縁ではありません。ゆるぎなく存在するかに思われた国家が、さまざまな犯罪団体やテロリストによって寄生され、そして、その力によって腐食され、中から国家の内部、あるいは骨組みが腐朽し腐食していく。その結果、そうした国家が解体していくという現象、これを、私たちは、アフリカから中東に至る地域において現実にいま、見ているわけです。
すなわち、これまでわれわれの知っていた領土や領域、国境を超えて問題が進展しているというところに、深刻さがあるわけです。ある意味で、これは、かつてサミュエル・ハンチントンが言った「文明の衝突」という、それ自体はかなり大雑把な議論でありましたが、その文明の衝突に一部類似しているか、あるいは文明の衝突を思わせるような現象をもたらしているということかもしれません。つまり、新ポストモダンの世界戦争というのは、むしろ文化、イデオロギー、宗教といったものの間の一種の文明的な衝突、あるいは文明的な対決によって引き起こされているということになるのです。
それゆえに、現在私たちが観察しているのは、同じ社会や同じ文明世界の中にいても、今回のテロが犠牲者をイスラム教徒、ムスリムたちも含んで無差別に起こしたことに見られますように、一つの社会に亀裂を入れ、自分が生まれた、あるいは自分が育った、自分を育んでくれたその社会の中に、進んで亀裂や憎悪を引き起こそうとしている。そうしたことが、今回のパリの事件から浮かび上がってきたわけです。
つまり、この新しいポストモダンの世界戦争、第1次ポストモダンの世界戦争と仮に言っておきますと、これは国家というものの力を非常に無視している、あるいは国家という力が一部においては弱まっている、国家というものが内向きに入り過ぎた結果、外との関係を持ち得なくなってきている、こうした時代の一つの産物として、警戒するべき点ではないかと思います。
●ポストモダン世界戦争の理解で大事な点1:イスラム的モラルの崩壊
そのうち、特にこのポストモダン世界戦争の理解で大事な点を挙げると、三つほどあるかと思います。その第一は、他ならぬ中東からこうした問題が起きています。しかも、それが価値観や、あるいは秩序観の問題をめぐる争いとして生じている。すなわち、イスラム世界の内部分裂と深い危機を象徴したのではないかと思います。もっと隠喩的に、もっと暗示的に言うならば、イスラムは現代の宗教、そして、いまそこに活力を持っている宗教として、自らの立場、自らのものの見方を堅持しています。
しかし、その共同体の中であれ、周縁であれ、外からであれ、ともかくイスラムを名乗り、そしてイスラムにその根拠を求める集団が、これ...