●「メロス島の対話」を想起するトランプ外交
皆さん、こんにちは。今日はまず、二人の人物の対話から話を始めてみたいと思います。次のようなものです。
「正義は力の等しい者の間でこそ裁きができるのであって、強者は自らの力を行使し、弱者はそれに譲る。それが人の世の習いというものだ」とAという人物が言ったところ、Bという人物は次のように言い返しました。
「窮地に立たされた者には、道理と正義の存在を認めてやること。そして、たとえ正確さに欠けていても、わずかでも納得できる論理を述べた者には利得が与えられることである。それは、われわれ以上に諸君にとって大きな利益となるであろう」
こういう二人の対話は、さながら現在のトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領、あるいは米国のウィトコフ中東特使とガザのハマスの代表者との対話のようにも聞こえるかもしれません。
しかし、この対話は実際には、民主主義国家の原型ともいわれる古典古代のアテナイ(アテネ)が、紀元前5世紀のペロポネソス戦争において、小国であるメロス島に対して服従を求めたときの交渉の一部に他なりません。これは、トゥキュディデスの歴史書、ペロポネソス戦争を書いた『戦史』の中で、「アテナイとメロスの対話」として引かれ、有名になったものです。
トランプ大統領と、このアテネの使節に共通するのは、私の見たところ「力は正義なり」という信念です。民主主義は自由競争を是とする限り、力こそ唯一の現実とみなす流れをいつも内包しています。
この二人(トランプ氏とアテナイの使節)は、人間が最終的に経済力や軍事力といった力を信じるならば、交渉や取引(ディール)の場において、弱者は強者に譲歩する他なく、弱者が力量不相応に領土の主権などにこだわるから紛争が続くのだといいいたいのでしょう。
しかし、メロス島の代表がアテナイ(アテネ)の使節に諄々と説いたのは、「小国や弱者にも生身の人間が住んでおり、家族とともに生活している」という事実の重さに他なりません。
●「ガザを中東のリビエラに」と考えたトランプ氏の誤算
トランプ氏は(かつて)「米国が戦地のガザをあえて所有することで、紛争にピリオドを打つことができる」と説いたことがあります。ガザを領有して、いわばフランスのコート・ダジュールのような中東のリビエラ、すなわち中東の海...