●現代のトランプを彷彿させるアルキビアデスの政治手法
前回は、古典古代ギリシアの歴史を扱った名作であるプルタルコスの『英雄伝』、いわゆる「対比列伝」に紹介されていたアルキビアデスのエピソードで終わりました。
アルキビアデスは、なかなか大きな戦略構想を持つことができた人物であり、最終的にスパルタを倒し、アケメネス朝ペルシアを牽制していくためのグランドデザインとして、地中海をどう抑えていくかという発想も持っていた人物です。
彼自身はカルタゴ(現在のチュニジア~リビア)を抑えることを夢見ていましたし、シチリアに出兵して戦争したこともあります。そうした余勢をかって、イタリア半島とペロポネソス半島(スパルタを中心とする同盟国)の国々を包囲する、スケールの大きな戦略を考えたこともあります。
アルキビアデスのこうした政治手法について、歴史家としてペロポネソス戦争を描いたトゥキュディデスは、「何でもござれのならず者風」といった表現を使ったことがあります。あるいは「俺が、俺が」「俺が、俺が」と対抗意識をむき出しにするといったような…という、やや強い表現を使ってアルキビアデスを揶揄したことがあります。
そういたしますと、このアルキビアデスの姿は、その政治手法や政治姿勢、あるいは自己顕示欲などを見るにつけて、どこか現代のトランプ氏を彷彿させるところがあります。
●大胆な革新や革命を恐れないトランプは保守か
そのように見ていくと、トランプ氏は非常に正統的な保守主義者とはいえないのではないかという気がしてきます。
むしろ、中国に104パーセント──その後もっと増えて120パーセントを超えるような関税をかけるなどというような姿勢は、(どうでしょうか)。
通常、危険な行為によって大きな事態や何が起きるか分からないようなことは避けるのが正統的な保守主義者です。その点からして、トランプ氏の評価は分かれるところです。ともあれ、彼が大胆な、むしろ革新的な政治家として、大胆な革命というものを拒否しない人物である(とはいえるでしょう)。
通常、左派や左翼の独擅場であるところの革新や革命というものを、むしろ彼は右寄りの保守主義の立場から、新たな試みとしての政治革新、革命的行為を拒否しない政治家だということがいえるでしょう。