●「中国の夢」は誤解を生みやすい
中国の夢が中華民族を主体とする夢であるとすると、いろいろ「誤解」が生じる可能性があります。これに関して、王義桅(オウギキ)という人が、こんなことを言っています。「中国の夢は、国家としての中国の夢に過ぎないのではないかという誤解があるが、そうではない」。あるいは、「中国の夢は、漢や唐時代の繁栄を回復して、朝貢システムを復活させようとするような復興の夢ではないのか(という誤解もある)」。当然、周辺国からはそういう疑問が出てきますね。それについても「そうではない」と言っています。
なぜかと言うと、彼は次のような区別をするからです。英語で「中国の夢」を表現しようとすると、いくつかあります。一つは、チャイニーズ・ドリームですね。中国人の夢です。それから、チャイナズ・ドリーム、国家としての中国の夢です。もう一つは、文化的な場所としての中華を生かして、中華の夢。これは、中国語の読みを用いてチョンホア・ドリームと言われます。
彼に言わせると、中国の夢はこの三つの夢が三位一体となっているものなのだ、ということです。三位一体になっている夢なので、例えばその一部を強調して、国家としての中国の夢に過ぎないのではないかという言い方をする「誤解」もあるかもしれない。あるいは、文化的な中華という、非常に帝国的な夢だという「誤解」もあるかもしれない。しかし、いや、でもそうではないだ。これは渾然一体をなしているのだ。こういうエクスキューズをします。
●夢を語るのは、現状への憂患認識があるからだ
ですがこれでは、おそらく誤解は解けないと思います。むしろ私は、「誤解」が深まってしまうのではないのかという気がしています。そもそも、どうしてこんなことを言わなければいけないのか。何のために、中国の夢を見ようとするのかということが問題です。
第1話で読み上げたように、二つの100周年、つまり中国共産党100周年(2021年)と新中国成立100周年(2045年)という二つの100周年までは、少なくとも共産党の統治を継続したい。こういう意図があることは確かだろうと思います。ここに持ってきた、この陳光興という香港の先生は、『中国の夢を脱構築する』というタイトルの本を書いていて、これがなかなかうがった見方をしているところがあって面白い。
この本によ...