●「中国の夢」という挑戦
今日お話ししようと思っているテーマは、「中国の夢」です。これは、皆さんも耳にされたことがあるのではないかと思います。今の習近平政権の大きなスローガンの一つだと思います。それ以前、例えば前の政権では、「和諧社会」のように、ハーモニーを強調するスローガンを出すなどしていました。和諧というのは、ある意味で非常に中国的な概念でもありますね。ところが今の政権では、それには飽き足らずに、さらに先を見据えた挑戦をしていこうとしています。
「中国の夢」と言った場合、われわれがすぐに連想するのは「アメリカン・ドリーム」ですね。アメリカン・ドリームに匹敵するような、あるいはそれを凌ぐような中国の夢を語ってみせる。そこからさまざまな効果というのを引き出そうとしているのだろうと思います。では一体、この中国の夢とは、どのような夢なのか。何を目指そうとしているのか。その問題点はどういうものなのか。今日はそれを一緒に考えてみたいと思っています。
ここ最近、10年間とはいきませんが、10年近いでしょうか、中国の夢という言葉の周りでさまざまに語られているディスコース(言説)があります。それは、一種の中国的な普遍を語るディスコースです。
●「中国の夢」は「中華の復興」に連なる思想だ
例えば「天下」。古い言葉ですね。ところが、この古い言葉をもう一度使い直して、中国的な普遍を語ろうという動きがあります。あるいは「王道」。これも古い言葉です。しかも日本にとっては、戦前のことを考えますと決して他人ごととは言えないような概念だと思います。こういった言葉のリバイバルが進んでいます。
これを考えてみますと、なかなか意味深いものだという気がします。例えば天下で言いますと、中国が近代西洋と出くわした時に、「世界」という概念に行き当たったわけです。自分たちが今まで考えていた天下とは全く違う普遍性が、近代西洋にはあった。それは、世界であり、中国は、実はその世界の一つに過ぎない。中国の言っている天下というのは、世界のサブ概念である。こういう非常にショッキングな経験をしたわけです。
ところが中国は、今やもう一度天下を語ろうとします。これは、西洋的な普遍である世界に対する一種のチャレンジでもあろうかと思います。中国に、もう一度普遍を語る権利を取り戻そう。これが話のポ...