●3.11後に活躍したカメラロボット
今回は2011年3.11の地震・津波災害で、海中ロボット、特に遠隔操縦ロボットがどう活躍したか、われわれはそれをどのように使ってきたかということをお話しして、今後のロボットのあり方をお話ししたいと思います。
ご存じのように、2011年3月11日に津波が起きて、多くのものが海に流されました。われわれは遠隔操縦機であるカメラロボットを使って、海底観測をしました。津波の後に海底が一体どうなっているのかということを、カメラロボットを使って、漁師さんを含めて世の中に見てもらったのです。一体どのようなプロセスで、どのようなことをやってきたかということをご紹介して、遠隔操縦機がどれほど役に立つか、どのように使えるか、問題点は何か、ということをお話ししたいと思います。
●遠隔操縦機カメラロボによる海底観測
これは大槌湾でROV、RTV-100というカメラロボットを運転してる様子です。自動車が落ちています。深さ16メートルで、北が0度を指しており、ここは45度を指しています。だいたい北東を向いているということです。2011年5月1日10時7分23秒の時点の海底を見ています。
次は、5月18日の南三陸町です。水深34メートルの所に岩場があって、ウニがいます。これを見ていただくと分かるように、がれきがあるわけではありません。もちろん津波以前にどうなっていたのかというビデオ記録がないので、比較はできないのですが、現在の海の底がこのようになっているということをお見せしたわけです。これは、私ども東京大学の横断型組織である、海洋アライアンスが主催となって行ったプログラムです。
これは大槌湾ですが、海底からロープが立ち上がっています。養殖のいけすや、浮いている漁具をつなぎ止めているものが切れて、下のコンクリートでできたアンカーの所から立ち上がっているという状況です。次は自動車が沈んでいる所です。こういうものもある一方で、何もないフラットな砂地の海底が広がっているというのも見えています。それからこれは割と浅い所です。大槌湾の東側の防波堤が崩れて、その周りがどうなっているかを見ているところです。
4月の末に最初のオペレーションをしたあと、日本財団さんから資金を得て、8月24日までにこれだけの港を含めて海岸、湾内をロボットで調査しました。これをそれぞれの場所の漁業組合さんと共同して行っていたわけです。その結果は、復興に大いに役に立ったと思っています。
●震災直後の南三陸町
まず最初に、南三陸町の状況を説明したいと思います。
これは海図です。志津川はこのように広い所ですが、そこを何十箇所にもわたって、私たちはロボットを潜らせて調査をしました。ここは23、24とありますが、番号の1番からずっと調査をしたわけです。この画像は5月中旬です。海面にはこのように養殖施設のブイが浮いていたり、船が沈没したりしていますが、実際には5月中旬にはもうほとんど表面にがれきはありませんでした。
●津波が来たときの状況と悪夢のような予想
この状況が一体どうなっていたかということを、ポンチ絵的にご説明したいと思います。志津川湾にはいろいろな形態の漁業施設がたくさんありますが、それがこのように係留されています。港があり集落があるという地域です。
例えば、深さが10メートル、20メートルの所で海面が上昇し、10メートルの高さの波になり、いろいろなものをなぎ倒しました。私たちだけでなく漁業者も含めて町の人たちは、海底は一体どうなっているのだろうかと想像しました。がれきが港の中にもあったり、たくさんの家なども海底に落ちているのではないか、沖合もこのようにずっといろいろなものが落ちているのではないかと思ったのです。ここで養殖漁業を再開しなければ復興はあり得ません。ですからこうした状態を見ると、がれきを取り除いて昔のような養殖漁業をするまでに、どれほど膨大な時間がかかるだろうかと、意気消沈する状況だったわけです。
●漁業者を勇気づけたカメラロボット
これは今の漁業者の悪夢であり、またわれわれの悪夢でもあります。しかし、本当にこのような状況なのかどうかということは、その地点に実際に行ってみなければ分かりません。結論を先に申し上げますと、そこへ行ってみた結果、実際はそうではないということが分かりました。重い残骸は落ちていましたが、軽い残骸はほとんど沖合に流され、またたまっていたヘドロも全部流されて、海底はきれいな粗い砂の状況になっていました。
まだ海底に落ちているものは、とにかく取り除かなければいけないけれども、その量は予想外に少ない。つまり、少しでも取り除けば、すぐに水産・養殖漁業活動が始められるということが分かったわけです。これは漁師さんたちにとっては非常に重要...