●志津川湾内外の調査
これは志津川の例です。このあたり全体は南三陸町で、そこに志津川と歌津という所があります。まず志津川を中心に調べて、それから歌津の近くを調べて、それから外側もずっと回っていく。こうした地域の海底がどうなっているかということを、4日間かかって調べました。
3番目の点のビデオをお見せしたいと思います。うっすらと見えているのは海底です。砂紋が見えています。浮遊物も見えています。深さは30メートルで、ダイバーが潜っていくには、かなりつらい深さです。ダイバーは1日にせいぜい20分ぐらいしか作業ができないのです。そこにロボットを潜らせると、海底にはほとんど何もなく、白い砂が広がっているという状況でした。
これは最初に潜ったところですが、何か落ちています。何かはよく分かりませんが、ものが落ちていると、それをいちいち確認しにいきます。ただ、海底の水は濁っていますから、近くに行かないと見えません。オペレーターが非常に重要です。ときどきロボットが海底に腹をこすって、砂がぶわっと舞い上がっているのが見えます。いま操縦しているオペレーターはものすごく熟達しており、彼は画面を見ながら操縦しているわけです。
どんどん進んでいるのが見えていると思います。ケーブルの長さは500~600メートルしかないので、300メートルから400メートルを進んではまた揚げて、あるいは戻ってきて、というような観測を続けていきました。今も進んでいますが、何か大物のがれきが落ちているという感じはありません。何か見えてきました。板のようなものが見えていますね。これをいちいちチェックしていくわけです。この時は漁師さんと一緒に見ていて、「ほとんど何もないね」と、非常に強い印象を持ちました。
●残骸に絡まるとプロペラが壊れてしまう
これは海底にいた生物を映したものです。アイナメ、ホヤ、イカ、カレイの仲間がいます。こういう生物たちもいますよね、ということです。これは今のたくさんのビデオの中から取ってきました。
さらにいろいろなものが落ちています。網や服のようなものも落ちています。こういったものがちらほらと落ちてはいますが、それほど大物は落ちていません。ただ、これらは実は非常に危険です。これは服かジャンパーのような薄い生地ですが、ロボットのプロペラに絡んでしまいました。こうしたことが起きないように操縦するのですが、これが落ちているものに近づいてぶつかってしまうと、プロペラが吸い込んでしまうということが起きます。これはまた別の例ですが、網のようなものがプロペラに絡まっています。これによってプロペラが回らなくなり、モーターが焼き切れてしまいます。
実際、こうしたことが何回か起きたため、この観測ではプロペラを1個駄目にしています。予備品は持ってきているので、それと交換して観測を続けます。こうしたこともロジの1つです。水中で動かしていくと、いろいろなものがどんどん壊れます。1つしか持ってきていなければ、壊れたときにもうそれで終わりになってしまうので、予備品をたくさん持っていくということもとても大事です。
●調査チームと協力してくれた被災地の人々
これは5月に志津川で調査を行った際の2日目の写真、こうしたことをクリアーして撮った写真です。われわれのロボットチームとそれから船長さんたち、漁協の人たちと記念写真を撮りました。
これは志津川でわれわれが泊まっていた菅原さんの家で撮った記念写真です。この時、私はどうしても2日しか時間的な余裕がありませんでした。そこで、滋賀県琵琶湖・環境科学研究センターでロボットを使って研究をしている熊谷道夫さんにお願いをしました。二つ返事ですぐに来てくださったので、私が帰った後には彼がこの指揮をしました。さらに同じく助けてくれた大阪府立大学の有馬正和准教授、東京大学の巻俊宏准教授、研究室の学生も写っています。これは菅原さんと奥さん、おばあちゃんです。彼らに面倒を見てもらいました。この家に住み込んでご飯も出してもらい、いろいろ震災の話をしていたのです。
志津川の話はこれで終わりますが、また後で振り返ります。
●震災後の大鎚の状況
次は大槌です。大槌には4月末に行きましたが、そこには東京大学の大気海洋研究所の実験場(国際沿岸海洋研究センター)があります。4階建ての素晴らしい大きなビルで宿舎もあり、われわれもロボットの実験のために使わせてもらった所です。東京大学にとってはゆかりのある所ですが、大槌は壊滅的な状況でした。
特に志津川と違うのは、志津川の町長さんはなんとか生き残りましたが、しかし大槌の町長さんはお亡くなりになっています。そのため命令系統に困難があり、大槌は復興がなかなか進んでいませんでした。われわれとしてはまず...