●日本の安全保障を考える3つの論点
日本の安全保障を考えるときの、いくつかの論点を整理してみたいと思います。大きく3つの観点を取り上げます。1つ目は、日本の安全保障の国際環境は変化した、ということです。国際学者や地域研究の人たちは、これを強調しています。2つ目は、国内の法的安定性、あるいは憲法的秩序を維持すべきだ、というものです。これは主として、憲法学者や裁判所が述べている主張です。3つ目は、世界の中の日本の役割です。世界の秩序を誰がつくって、誰が維持しているのか、それはどのように変化してきているのか、という観点です。
●湾岸戦争以後、憲法9条が言い訳として通用しなくなった
憲法に関する議論をする前に、国際的な環境からいえば、日本はある意味で戦争原因でした。第2次大戦の当事者として、連合国を向こうに回し、戦争を仕掛けて敗れた側です。その意味では、連合国そのものである国連の旧敵国条項の中に、日本やドイツ、イタリアが入っているのは当然です。連合国から見れば、戦争の原因は日本やドイツでした。そこで、日本側には戦争をしないよう、自己抑制がかけられることになりました。憲法9条です。これは日本からすれば自己抑制ですが、海外から見れば戦争の原因を取り除く、ということでした。
しかし戦後、非常に早い段階で冷戦が起こります。連合国の中で対立が生じたのです。そこで、冷戦と冷戦後の条件の2つを考える必要があります。日本の憲法的議論は、1990年の湾岸戦争の時に、ある意味で破綻していました。それまでは、日本は憲法9条があるので国際貢献はできない、ということが認められてきました。しかし、湾岸戦争の時には、それが言い訳として通用しなくなりました。「血を流せ」「汗を流せ」「お金だけでは十分ではないぞ」となったのです。では日本に何ができるのか、という宿題が課せられました。
●安保法制は9.11とイラク戦争の宿題の十分な解決ではない
ある意味で、安保法制はこの宿題を解決しました。しかし、9.11とイラク戦争という、冷戦後のさらなる節目の課題は解決していません。もともとテロというものは、警察が取り締まります。しかし、国を超えた大規模なテロが起こるとなると、軍隊が防ぐのか、どこまでが警察活動なのか、という問題が生じます。これは今、世界を悩ませている難しい問題です。
イラク戦争に関しては、西側で対立が起きました。国連決議を採ろうとしたアメリカに対して、フランスのドミニク・ド・ビルパン外相が反対します。大量破壊兵器を確認してからにすべきだ、と主張したのです。こうして、フランス・ドイツとアメリカが大対立します。アメリカを支持したのは、スペインとイギリスですが、イギリスでもイラク戦争の失敗によって大ダメージを受けます。ブレア政権はそれを検証し、イラク調査委員会(チルコット委員会)が大報告書を出しました。
しかし、日本はそうした検討をまだしていません。つまり、安保法制で湾岸戦争の宿題は解決したのですが、9.11とイラク戦争の宿題は、まだ十分に解決したとはいえません。
●トランプ政権は「平和は力だ」ということを強調している
世界の中の日本の役割を考える際に、アメリカの視点を引き合いに出してみましょう。2003年、イラク戦争の前に、私はアメリカに行きました。当時、パブリック・テレビジョンで行われた討論型世論調査で明らかになった、4つの立場を日本に置き換えてみたいと思います。
1番目は、所詮力による平和だ、という立場です。2番目は、民主化によって世界を平和にするという立場です。3番目は、世界の市場・貿易によって世界秩序を維持する、という立場です。そして4番目が、国際協調あるいは共通利害によって世界を安定化する、という立場です。これらはアメリカの人たちが主張していたものです。
例えば、ジョセフ・ナイ氏(国際政治学者)は4番目の国際協調の立場です。日本から見れば、ナイ氏は「力による平和」という立場、あるいは民主化の立場ではないかと思われるかもしれませんが、アメリカ国内では、彼は国際協調の立場に入ります。今再び、トランプ政権は、平和は力によってもたらされるということを強調しています。そのため、改めてこの4つのポジションを引き合いに出しました。
●日米同盟、国連中心主義、東アジア共同体は相互に矛盾する
日本の場合、基本的には国際協調の立場ですが、その中でも3つポジションがあります。1つ目は、日米同盟による世界平和・日本の安定というものです。2つ目は、最近は少なくなりましたが、かつてわれわれが子供の頃には盛んに唱えられていた、国連中心主義です。3つ目は、アジアの中の日本というものです。東アジア共同体を唱えた政党もあります。
普通、われわれは日米同盟、国連中心主義、...