●サウジアラビアとUAEは反ムスリム同胞団で一致結束
サウジアラビアと比較的近い関係にあるアラブ首長国連邦(UAE)についても、サウジアラビアとすこぶる似たところがあります。UAE自体が多くの君主国家、すなわちアブダビやドバイやラアス・アル=ハイマといった、王族、王室が支配している国々の連邦国家が、例えば自らの国の支配を脅かしかねない二つの大きなイスラム的脅威──一つは、申すまでもなくシーア派のイランという巨大な隣国です。もう一つは、同じスンナ派の中でありながら、イスラム主義によって王制国家を常に転覆しようとする政治宗教団体で、その一つがムスリム同胞団です──このムスリム同胞団に対するカタールの融和的な態度に対して、サウジアラビアとは常に一致結束して反対してきました。したがって、この2年間、UAEの国内においては、ムスリム同胞団に対する厳しい取り締まりが行われてきたのです。
●サウジアラビアとバーレーンの深い絆
また、バーレーンという国がありますが、この国はサウジアラビアと非常に深い絆で結ばれています。バーレーン島から長い橋を通してサウジアラビアに入国するルートは、陸から入っていくルートとして非常に普遍的であり、日本のビジネスマンや外交官もよく使います。私も、最近では今年2014年の1月にバーレーン経由でサウジアラビアに行ってきました。
バーレーンとサウジアラビアは深い安全保障の絆で結ばれていますし、王族間にも私的なつながりが強く見られます。したがって、バーレーンはサウジアラビアに近い存在であり、今回、UAE、サウジアラビアと並んでバーレーンも、今のアサド政権のシリア政府、あるいはムスリム同胞団に対して融和的なカタール政府に対して、あるレッドラインを超えたということで、大使召還という措置に入ったのです。
●エジプトをめぐるカタールの孤立、サウジアラビアのいら立ち
カタールという国と他のGCC(湾岸協力会議)5カ国との大きな違いはいくつかありますが、エジプトをめぐっても違いがあります。
エジプトにおいては、この間の軍部による事実上のクーデター、革命によって、一応は選挙で選ばれたムスリム同胞団系の大統領、モルシ氏が追放されるという事件が起きました。それに代わって、間もなく行われるエジプトの新しい選挙で、陸軍の最高指導者であるシシ将軍が、おそらく大統領になると思われます。この際に、ムスリム同胞団の政権掌握が合法的だったとして、それに対して常に共感していたカタールと、このムスリム同胞団の選挙による政権掌握は人為的なものであり、民意を反映していないので正当化できないというサウジアラビアの立場、あるいはエジプトの軍部の立場というものがあったのです。
これまでサウジアラビアは、アメリカとの同盟関係によって自国の安全保障を図っていましたから、自国の防衛の第一ライン、最初の外郭の線はアメリカが守ってくれていたのです。ところが、アメリカがイランとの関係でサウジアラビアにとって信頼できないものになった現在、サウジアラビアが自ら立たざるを得ないということになったのです。
また、エジプトとサウジアラビアの関係についても大変重要な点があります。それは、サウジアラビアにとって最も重要な安全保障上の脅威はイランですが、このイランから自国の安全を守るために、いわば反イラン戦線というものをつくっていた最も信頼するべきパートナーであったムバラクのエジプトが、ムスリム同胞団のモルシ政権に変わることによって、そうした役割を期待できなくなったということがあります。
したがって、サウジアラビアとしては、アメリカとの関係が揺らいでいる現在、エジプトにおいてモルシ政権を何としても倒し、それに代わって新しいシシ陸軍元帥の大統領になるという道筋を通して、イランに対する安全保障のラインを二重三重に強化したいという気持ちもあったのです。
そこで、こうした「アラブの春」の最初から、エジプトをめぐって、サウジアラビア=リヤドの政権と、カタール=ドーハの政権との間には、実は大きな温度差、というよりも利害関係において違いがあったということになります。
●二つの大きなイスラム的脅威
そうしたコンテキストで見ますと、ムスリム同胞団というイスラム主義者は、等しくサウジアラビアという巨大な王制国家に対する脅威であるのみならず、反イラン戦線に対して組んでいたサウジアラビアやエジプトの既存の保守勢力にとっても脅威となっていたのです。そこで、こうしたカタールのムスリム同胞団に対する理解ある姿勢は、これまでのサウジアラビアの王室と政権にとっては大変目障りなものであったということです。
実際にサウジアラビアは、このイランに支援された人々が、特にバー...