●松下幸之助の発想にも通じた県政
―― 「民の力を活用する」いうのは、いつ頃から身に付けた発想なのですか。
村井 これは松下政経塾に入ってからです。松下幸之助さんが、やはりそのようなことをずっとおっしゃっていましたので。「もっと小さな行政体、小さな政府にしなければいけない」と言われていました。
実は、今回の大震災で、宮城県には国から非常に手厚い支援をしていただいているのですが、私は借金を少しずつ減らしながら、やっているのです。
もう本当に無駄はなくして、毎年やっている通常の仕事などは、実はぐーっと少なくしていって、少しでも余裕があれば、復興に予算を回しながらやってはいるのです。お金の使い方については極めてシビアにやっています。
―― 借金を減らしながらやっている、というのはすごい話ですね。
村井 はい。少しずつですけれども。でも、そういう発想でないといけません。「復興は終わったけれど、莫大な借金で県が潰れました」ということではだめなのです。その辺りはうまく調整しながらやっています。
―― そういう意味では、松下幸之助の発想を活かした行政をやっているわけですね。
●目先のことではなく、全体の利益を考える
村井 やはり政経塾で学んだ人間として、そこはもう絶対に譲れない一線だと思っています。
例えば、この間も医療費の減免というのがありまして、国民健康保険に加入している人たちが、今回ずっと医療費が免除になっていたのです。国民健康保険というのは、7割が保険で、残り3割が自己負担です。その3割の自己負担分のうちの8割分を国がみましょう。残りの2割を自治体でみてください、という仕組みだったのです。
岩手県は、その2割の分は、県と市町村が半分ずつだったのですが、宮城県の場合は、市町村で被害が大きなところがあって、ほんの1割の少しの部分でも持つと財政がパンクしてしまうということで、実は最初、県が2割持っていたのです。
しかし、もうそれは県でも持てなくなって、昨年の3月で打ち切りました。ところが岩手県は継続したのです。でも、宮城県は打ち切った。
当然、県境をまたぐと岩手県の人は医療費が無料なのに、宮城県は3割負担でお金を取られる。これはおかしい、ということでずいぶんたたかれました。
しかし、やはり県の財政を考えると、とてもではないですがパンクするのが分かっていたので、これ以上県が持つのは無理だということで、ずっとお断りし続けました。それもやはりつらいことでした。
特に選挙が去年ありましたので、対立候補は当然そこを言ってくるわけです。「自分が当選したら、すぐに医療費の県負担を再開します」と。当然、私もそう言いたいのですが、でも、やはり医療費の県負担を続けることが、結果として宮城県のプラスに、全体の利益につながらない、と思ったので、私は最後まで首を縦に振りませんでした。
―― それはやはり確固たる信念ということですよね。普通、県の行政は、知事がいて一方で議会があって、という二重行政になっていますよね。かつ、その下に市町村があるという仕組みで、これは知事に決裁権があるようでいて、非常に分散されているような感じがします。
必ずしも会社の経営とは同じではなくて、やりにくい面がある中で、リーダーシップを発揮し続けるということは、大変なことだと思います。
村井 はい。大変です。
●県民の支持を得た「全体の底上げに注力する」という方針
―― そうして、相当苦い薬を県民に飲んでもらいながら、みながついてくるというあたりが、素晴らしいですね。
村井 そうですね。それは本当にありがたいと思います。だから、「あれもしてあげます、これもしてあげます」と言うのではなくて、私はどちらかというと「こうしたいのです。そのためにもここは我慢してください」という県政なのです。
そこで、常に私が言うのは、「全体の利益になることをやる」ということです。ですから、特定の人の利益になることだけに力を注ぐことはしません。今の日本の政治の悪いところは、特定の人たちのことだけに目がいって、全体を見ていない、そういう政治形態だと思うものですから。私は、とにかく宮城県全体を底上げするような政策に注力をしたいのです。
結果として全体がよくなることによって、例えば、生活の厳しい人たちも、今よりは明日、明日よりも5年後、10年後、上に上がっていくという、そういう行政体にしていきたいと思っているのです。それをずっと言い続けています。
もちろん、批判する人もいます。でも、おもしろいもので、県民のほとんどは私のやり方に対して応援はしてくださっている、というのは、選挙結果に出ています。ですから、それで間違っていないと思うのです。
―― そうでしょうね。圧倒的でした。
村井 そう思ってや...