●新潟県見附市の再生のために立ち上がる
見附市長の久住です。2017年(平成29年)、図らずも見附市は、人口減少や少子高齢社会などの課題解決を図る取り組みを表彰する、第5回プラチナ大賞(プラチナ構想ネットワーク主催)の最高賞である大賞と総務大臣賞を頂きました。この大賞の名に耐え得るようなプレゼンテーションができるのか、そしてこのまちが本当に魅力を持っているのかが多少不安ですが、今回は見附市のありようを実際に見ていただき、さまざまな取り組みのための切り口として、ご参考になるようなところがあればありがたいと思います。
まず見附市の取り組みについてお伝えする前に、私のことを少しお話しします。私は実は見附市出身で、東京の大学を出てから商社へ行きました。52歳まで商社におりましたが、最初10年ほどカナダとアメリカで仕事をし、その後、香港に2回に分けて6年半いました。最後はベトナムのハノイに2年半駐在し、そして51歳の時に日本に戻ってきました。
日本に戻ってきたところ、ふるさとである見附市が大変だと知りました。どうにもならない状況で、見附市に住んでいる人たちの発想では、これは乗り切れないとのこと。そうした中で、見附市に縁があり少し違った発想をする人間を探していたところ、「久住という男が面白い」ということで私が選ばれたそうです。
私が働いていた会社は東京駅の近くだったのですが、東京駅に呼び出され「見附市に戻ってきてほしい」と言われたのです。「ええっ」と思いました。何回も熱心にお願いされたので、そのうち次第に、「仕方がない。では行くか」という気持ちになりました。家内や子どもは見附市には直接縁がないので、私が単身赴任という形で見附市に8年間赴きました。
●既存の産業が打撃を受け、「ないものの強み」を生かす
なぜ見附市に帰ってくることを要請されたのかというと、既存の産業が打撃を受けたからです。私が大学を卒業した頃は、見附の工業出荷率の9割が繊維でした。ご存じのように、日米通商交渉で繊維の対米輸出が自主規制されることとなり、最悪の惨状になりました。このまちはその自主規制に直接打撃を受けたのです。その中でもいろいろな課題があり、どうにも抜け出せない状況でした。これが見附市に私が呼ばれた1番の大きな理由であったようです。
新潟県には30の自治体がありますが、その中で見附市は...