●「全体のことを考えろ」という父の言葉を肝に銘じて
―― 県議に最初出られたのは、何歳のときですか。
村井 34歳です。
―― そこから10年で知事になられて、政治家の立ち振る舞い方、職務としての厳しさは、その県議時代くらいからだんだんと備わってきたものですか。
村井 そうですね。私は、政治家になろうと決めて自衛隊を辞めて政経塾に行くときに、父とずいぶんいろいろと議論をしたのです。そのときは結婚して子どももいて、公務員ですから、黙っていても定年までいて安定した自衛隊の生活なのに、母からは当然「なぜそれを捨てるのか」「政経塾に行って、何をやりたいのか」と聞かれました。
「政治家をやりたい」と言ったとき、母は反対だったのですが、父は、「それは男の生き方だから、すばらしいではないか」と言ってくれました。
ただ、「政治というのは、いわば武士と同じだ。つまり、自分のことを考えていてはいけない。全体のことを考えろ。だから、政治で金儲けをしようとしたり、自分のために政治を使うといったことだけはやめろ。全体のためにやれ。国民のため、県民のため、市民のため、町民のため。全体のことを考えてやるような政治をするなら、いいのではないのか」と言ってくれたのです。
―― 立派なお父さんですね。
村井 その父の言葉がずっと頭にこびりついているのです。ですから、もう全体のためにやって、それでだめなら、それは仕方がない。自分はとにかく、全体の利益のためになると思うことをやろうと思っています。
―― でも、陸上自衛隊のヘリコプターのパイロットで、そこから別の道へと決めていくわけですから、それはすごい決意ですね。
村井 はい。大変でした。
―― 大変な決断でしたね。その時はもう奥さんもいらした。
村井 はい、女房がいました。
―― では、大変でしたでしょう。
村井 私が自衛隊にいたときで、学校に入ったときだったのですが、「政経塾に行って政治を志したい」と話したときに、女房が反対すると思ったのです。次の日、朝起きたときに女房が、大学の課題を書くときのザラ紙に鉛筆書きで、「自分の進みたい道に進んでください」と書いてあったのです。その紙は、今でも机の上に貼っていますけれども。
―― それはできた奥さんですね。
村井 あれはもう、死ぬときは棺おけに入れてもらおうと思っていますね。そういう...