●実行力と構想力プラス人との縁が鍵となった復興計画
―― カタールの水産加工場(カタール政府による「カタールフレンド基金」の支援を受け、宮城県石巻市女川町に2012年11月に設立された最新型冷凍冷蔵施設。この施設設立によって女川町は水産業の町として再び歩み始めた)の寄付金が1億ドル余ったという話。あの時の村井知事の動きの早さは凄かったですね。
村井 いつもあんな感じです。
―― 結局、放っておけばどこかに行ってしまっていたお金が、水産加工場になりましたものね。やはり、あのスピード感と、長期的な構想のおかげですね。
村井 そうなのです。ああいうことも、役所の人が動いたら多分間に合わないなと思って、すぐ動いたのです。
―― これも「自分で前に出て行く」ということですね。あと、東大の前の総長だった小宮山宏さんが、ずっと宮城ファンですよね。
村井 ありがとうございます。
―― 小宮山先生に「面白い」と言わせるなんて、大したものです。ソーラーフロンティアも、結局なんだかんだ言いながら、紆余曲折の末、何はともあれ宮城に来ましたからね。
村井 誘致できましたね、最先端の工場で。あれも不思議なものでして。ソーラーフロンティアという太陽光パネルの工場なのですが、小宮山東大前総長に、宮城県の復興計画を作る委員会の座長をやっていただいて、神蔵さんにも委員になっていただきましたが、その小宮山先生と委員会が終わってから2人でお茶を飲んでいた際に、「村井くん、もっと自然エネルギーを活用するような県土に変えていかなくては駄目だ」と、アドバイスされたのです。
私が、「いや、先生、そうは言っても、われわれとしても、何かそのモチベーションがほしいのです。いい工場でもあれば、モチベーションが上がるのですけれどね」と言ったら、「そうか、では、いい企業を探さないといけないな」とおっしゃって、そして「そういえば、昭和シェル系のいい会社があるから、紹介するよ」というところから始まったわけです。
ですから、あの復興計画のその委員会に小宮山先生が座長になっていなければ、この太陽光パネル工場の話もなかったのです。
―― いや、でもすごいなと思うのは、あの小宮山宏に一生懸命やろうと思わせる、ということです。工場を、僕も一緒に見に行きました。なぜ、このソーラーフロンティアがいいのかと思って。技術的にここが一番いい、レベルが高いからですね。
村井 そうなのです。シリコンを使わないのです。
―― 使わないのですよね。でも、その一番いいものを持ってくるというところは、大したものですね。
村井 何度も職員が足を運びましたし、私も会社に2、3回行きました。おかげさまで、素晴らしい工場になると思います。世界のモデル工場にして、要は、それを売れるところにまでつくっていくというのが、当然の目標です。宮城の工場のシステムがうまくできれば、それを海外に持って行って、海外で同じものをつくっていく。ですから、宮城の工場が基幹工場になる、ということです。
―― マザー工場ですね。
村井 ソーラーフロンティアでは、マザー工場にすると言っていました。大変にありがたいことですね。
●サービス産業からものづくりへ~将来を見据えた産業構造の転換戦略
―― しかし、復興をやりながら、誘致もとってきてしまうわけですから、やはりすごいですよね。
村井 私は、宮城県の産業構造を変えようと思っているのです。宮城県は暮らしやすいところで、サービス産業、第3次産業中心の県土づくりをずっとやってきたのです。よく「支店経済」と言われるのですが、黙っていても支店が宮城にくる、仙台にくる。だから、支店にくる人たちをターゲットにする商売、つまり飲んだり食べたり、売ったり買ったりですね。サービス産業のウエイトが大変高いのです。
言い換えると、ものづくりのウエイトがとても低い県なのです。それで食べていけたのですが、でも、人口が減る。高齢化が進む。しかも、情報化が進んで、わざわざ支店を宮城につくらなくてもよくなってきた。そして、新幹線がもう青森まで走るようになりましたから、支店を東北に、宮城につくる必要もなくなって、日帰りで東京から行けるようになってきた。ですから、これからはどう考えても、人口が宮城だけずっと増え続けるというような構造にはならないだろうなと思ったわけです。
そうすると、第3次産業というのは、一気に食べる人、飲む人、買う人が減ると衰退しますので。このままいくと、宮城県は25年で生産年齢人口が25パーセントぐらい減ると出ているのです。
―― ものすごい減り方ですよね。
村井 はい。日本全体がそうなのですが。そうなると、ものが25パーセント売れなくなる、25パーセントのお店がつぶれるということです。そうならない...