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明治の元勲は責任を持って任せたけれど逸脱はさせなかった

敗戦から学ぶ戦前のリーダーシップ(1)明治の指導者

齋藤健
衆議院議員
情報・テキスト
佐藤賢了
wikimedia Commons
時代とともに世の中が複雑になり、戦争に影響を与えることになったリーダーリップの変質。敗戦から何を学ぶべきか。明治から昭和の時代を駆け抜けた先人たちの話を紹介しながら、明治の指導者、エリートについて齋藤健氏が語っていく。(前編)
時間:10:28
収録日:2014/02/18
追加日:2014/06/12
タグ:
≪全文≫

●アメリカのエリート教育と日本教育の変質


齋藤 アメリカのエリート教育というのは、すさまじいものがあります。「エリートは必要だ」という前提でやりますから。

―― すると、途中でつまずいた人が悪いわけですね。

齋藤 ジョン・F・ケネディ政権の時は、〝The Best and Brightest〟と言って、エリート教育が当然必要だという前提で、社会が成り立っています。日本もそこまでやれと言わないですが、指導者をどうやって育てるか、その意識はもう少し持たないといけないし、やはり過去の経験から、日本人のリーダーが腹の底に据えておかなくてはいけないことがあるわけです。それは、私はメッケル氏の言葉だと思います。「もっと緻密に冷静に分析しなければいけないのに、何でも容易に物事が運ぶと過信したり、希望的観測でものを言う傾向が、日本のエリートにはある」と彼は言っていますから、日本のリーダーのことをよく見抜いています。

―― その通りだと。

齋藤 だから、中国は一撃でおとなしくなるとか、アメリカとイギリスの間は当然離間できるとか、ロシアはやってこないとか、全部希望的観測です。その前提で作戦を立てますから。

―― そういう意味で、陸大とか、海軍大学とか、天下の秀才を集めたのに、たいした教育、たいした授業をやっていなかったというのは、結果だけ見れば、そういうことですよね。

齋藤 ただ、私は思うのですが、陸大には優秀な人が数多くいたはずです。農家の次男とか、食っていけないけれど頭がいい子の中には、幼年学校から入って、最後は陸軍大学校を出るという子が結構いましたから、優秀な人は集まっていたと思います。

問題は、優秀な人が集まっていたにも関わらず、なぜああいう大きな流れに巻き込まれたのだろうか、ということです。優秀な人がいなかったら、諦めもつきますが、陸大にはいましたし、多分海軍にも相当優秀な人がいたと思います。そこは、やはり視野が狭い教育になったということと、司馬遼太郎のいう「道徳的緊張」、明治の武士道のようなものがあったと思うのですが、それが何か変質していた、ということです。なかなか一言でこれだとは言えないのですが。

ですから、陸大のいろいろな教育を見てきた人とか、海軍の及川古志郎さんのように海軍大学校校長までされた人が、「広い視野を持って、その中の一つとして軍事を考えられる、そういう人を育てる教育をしていなかったことが、英米に敗れた原因ではないか」と、戦後言っています。

―― 確かにそうですね。

齋藤 だから、そこですかね。

―― これからの時代というのは、原敬のような人が出てこないとやれないですよね。外務次官もやった、新聞記者もやった、実業家もやった、政治家もやった、という人が出てこないと。

齋藤 すごい。あの人は、化け物ですね。

―― やはり類推できる力が、ある程度爆発させるぐらいまで持っていかないとやっていけなくなるのでしょうね。


●逸脱はさせなかった明治の指導者が、昭和になり弱くなった


齋藤 今は、時代も違いますし、実業をやって、マスコミをやって、政治をやって、官僚をやって、というのは、インポシブル、不可能です。代わりにどうするのかということを考えるしかないです。

それは、やはり上にいる人たちが大事で、自由にさせているようで逸脱はさせない、ということ。何を勉強してもいいよと言いながら、歴史の本を一緒に勉強しないかとか、海外に行けとか、とにかくなかなかできない経験を積ませるということで、つまり、自由にやっているようでも、枠は逸脱させずに、うまくコントロールして育てていくということが大事で、自由だけでは駄目だということだろうと思います。

だから、この本にも書いてありますが、佐藤賢了氏という陸軍の有名な課長がいて、戦後生き残って。

―― 佐藤賢了氏は生き残ったのですか。

齋藤 生き残りました。それで、戦後史を語っている中に、なぜ日本の陸軍の上の人たちが駄目になったかという話があります。その中の一つに面白い話があり、明治の人たちとの違いを言っています。明治の元勲というのは、今私が言ったように、責任を持って任せ、自由にさせたけれど、逸脱はさせなかったと。なぜ逸脱させなかったかというと、自分は過去に修羅場を経験しているから、育てるために任せるけれど、自分の経験から見て、これは駄目だというところは逸脱させなかったというわけです。だからうまくいったと。

けれども、昭和の時代に上に立った人たちというのは、技術も複雑になり、自分が把握できていないから、それゆえに部下に任せるようになる。本当に任せてしまうがゆえに、下のほうが、力がついてしまい、上司のことをあいつは駄目だと、下が上を評価するようになる。そうすると、上は下の評価...
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