●血筋にこだわったシーア派、ムハンマドの言行理解を重視したスンニ派
今回はスンナ派、あるいはスンニ派とシーア派がどう違うのかというお尋ねに、なかなか難しいことではありますが、お答えしたいと思います。
神の啓示をイスラムとして人々に伝えたムハンマドが死んだ後、ムハンマドは宗教と政治、あらゆる意味で共同体のリーダーでありましたから、この教団国家を誰がどのようにして支配するのかということで、スンナ派とシーア派の二派に分裂しました。
ものの考え方としては、ムハンマドには直接の男の子はいませんでしたが、その娘のファーティマがムハンマドのいとこであるアリーという人物に嫁いで、この間に子どもが生まれました。それがハサン・イブン・アリーとフサイン・イブン・アリーという人ですが、この血の流れに沿って、ムハンマドの教えを指導していく人間が継承されていくべきである。すなわち、英語でも日本語でもカリフと言う、このカリフの地位、これがムハンマドのお家の人に継承されるべきだというように考えた人たちが、シーア派です。
シーア派でなくてスンナ派、あるいはスンニ派というのは何かと言うと、スンナやスンニというのは、ムハンマドの言行という意味です。つまり、ムハンマドが伝えた神の啓示を、ムハンマドがどのように実践し、どのように解釈したかを正しく理解する人たちが、そのムハンマドの後をカリフとして継いでいくべきであり、そういう人たちは、スンナ、ムハンマドの言行によって正しく生きていく人々である、という考え方です。こうした考え方で、ムハンマドのお家の人ということにこだわらなかった人たち、これがスンニ派ということになるのです。
●イスラム帝国とともに拡大したスンニ派勢力
このスンニ派の人たちは、4代にわたってカリフの位を選挙によって選びました。4代目になって、ようやく先ほど触れたアリーが選ばれたのですが、そのアリーが暗殺されてしまいます。そして、その後どうするかということで混乱が起きまして、イスラム世界は分裂しました。
先ほどから申し上げているように、ムハンマドのお家の人を信奉する人たちがシーア派になり、イランや今のペルシャ湾のアラブ側の湾岸地域にかなり分布していきました。
他の世界には圧倒的にスンニ派が増えました。なぜかと言うと、この4代目のカリフのアリーが死んだ後、イスラム国家はダマスクスに首都を置くウマイヤ朝という王朝に継承され、そこに大きな帝国がつくられました。これが広がりをもって、イスラム世界を支配していくことになります。その影響もありまして、スンニ派の方が現代の世界においては多数派になって、今日まで及んでいるということです。
●スンニ派カリフもやがて世襲の形へ
ついでに申しますと、このウマイヤ朝はカリフの地位をウマイヤ家で世襲していきます。ですから、選挙で選ばれたカリフは4人でおしまいになりまして、その後カリフの地位は、ウマイヤ朝、アッバース朝、そして最後はアラブ人でさえないトルコ人のオスマン朝、オスマン帝国へと世襲的に受け継がれました。20世紀、1922年から23年にかけてのトルコ革命によってオスマン帝国が解体し、そのカリフが兼ねていたスルタン(君主)が追われるまで、このスンニ派の帝国は、そのような世襲の形で維持されてきたということです。
いずれにしましても、現代世界においては、イランを中心とする地域を別とすれば、スンニ派が大勢です。スンニ派という意味は、スンナを信じる人たち。つまりスンナ、ムハンマドの言行を信奉する人たち、それに従う人たちという意味で、これがスンニーです。日本語では簡単にスンニと呼んでいます。