●対症療法ではなく教育の仕組みを変化させる
今、いろいろな意味で教育問題というのが重要です。教育におけるイノベーションというのが、本当に必要な時期に入っているのだと思います。
これも非常に大きな流れで言いますと、産業革命をやって、そういう社会にふさわしい人材を育てるということと、これからの独創的な新しい良い社会、私はそれを「プラチナ社会」と定義しておりますけれども、そういう社会に向かう創造性のある人たちを育てる教育というのは、おそらく違ってくるということが背景にあるのだと、基本的には思っています。
そして、その答えというのは、社会総がかりの教育あるいは学び合いにあると思います。教育というのは「誰かが誰かを教える」という感じがしますけれども、そうではなくて、「お互いに成長していく」というような仕組みを構築することが、必要なのではないかなと思っているのです。
今、小中学校の教育で、いろいろ違うことが問題になっていますね。例えば、日本人は世界の中でも非常に英語が下手ですが、この問題をどうするのかというようなこともあるし、いじめの問題もとても大きいですね。
それから、これは世界中の課題なのですが、理科教育の問題というのも大きいのです。生命科学や情報科学、これらは両方とも私の学生時代にはなかった分野です。こういうものが新しく出てきて、しかも1年、1年激しく変化していくわけです。進歩していくと言っていいと思います。こういう状況のなかで、どうやっていい教育をしていくのかということですね。
これを、対症療法的に一つ一つ「小学校から英語を教えようか」とか「理科の先生を再教育しようか」などとやっていっても、なかなかうまくいきません。もう少し大きな変化をさせないといけないのです。
●経験豊富なシニア人材を教員集団に活用する
具体的に言うと、私は一つの学校に5人ずつ社会人が入った教員集団を作るといいと思っているのです。その人たちは、60歳以上でもいいです。今、日本で元気でなおかつ知恵と経験を持っている人材というのは60歳以上の層にたくさんいますから。そういう人たちを5人ぐらい、教員として入れるのです。
例えば、海外滞在の経験があって、実用的に英語を話せるようになっている人たちとか、あるいは総務系でクレーム処理をやっている人たちというのがたくさんいますから、そのクレーム処理の経験者を採用する。モンスターペアレントなどが来るわけですから。
それから理科の分野で仕事してきた人たち、これも日本にはたくさんいます。こういう人たちが下手をすると、60歳あるいはそれ以前に職を失い、海外に引っ張られています。そういう人たちが、海外、特に韓国が大事ですが、海外での工業の成功に寄与しているというようなことがあるわけです。
例えばそういういろいろな経験を持った人たちが5人、小学校に教員としているといい。今、小学校はだいたい20人とか25人というのが一つの学校の平均の教員の数ですから、20数人のいわゆる教育の専門家と多様な経験を持った人たち5人ぐらい。この人たちで教員集団を作ったら、ずいぶんいい教育ができると僕は思います。
●個々の経験の多様性が、教員集団の特長
よく「最近の先生がだめだから」「先生の質が落ちたから」とか言われますが、そんなのは嘘です。今だって先生は真面目だし、優秀です。
けれども、22歳で大学を卒業するもう少し前、おそらく高校のときに先生になると決めないと、今は先生になれないのです。高校のときに先生になると決めて、教員の免許を取れる課程のある大学に入って、それで22歳で先生になる。そこで学校に入って、いじめの問題を経験したりするわけです。
そうしたら、この人はそういった問題を自分で解決するなんてできない、誰かに相談しないといけないではないですか。そこで、教頭先生とか校長先生に相談する。でも、校長先生だって、今言ったように高校のときに先生になろうと思って、ずっと先生をやってきた、学校という極めて狭い経験を持っている人なのです。
だから、先生が優秀か優秀ではないかといった問題ではないわけです。人間というのはそれぞれそういう経験してきた、専門でやってきたところがあるのですね。私だったら大学でずっとやってきているとか、会社の社長だってある業種の中でずっと上まできている。皆それぞれ経験してきた道は狭いのです。
けれども、そういう狭いけれどもいろいろな違った多様性、こういう多様な経験を持った人たちが教員集団を作れば、今よりはるかにいい教育ができるのではないかと僕は思っています。
●実現可能性が高い「教員集団」という仕組み
しかし、こういうことは可能なのかどうか、それが問題なのですが、できます...