●人類学が抱える過去の負の遺産
長谷川眞理子です。今回は、私の出身学部といいますか、研究科が自然人類学なので、その人類学に関する過去の負の遺産ということに関して、今考えていることをお話したいと思いました。
人類学と人種差別ということなのですが、人種という概念は非常に議論が多いところです。人類学ではいろいろと定義されていて、いわゆる人種というものは存在しないということになっています。ですが、人がいろいろ違った形をしていたり、文化が違ったり、肌が違う色をしていたりというようなことに関する話というのは、人類学の本当の基になっています。
ですから、その辺りの過去の経緯が今にどう影響しているかということを、人類学者の責任として考えておかなければいけないと思い、お話しすることにしました。
●人間の多様性の認識よりキリスト教的世界観による序列
人類学が最初にできてきたのは、もちろん西欧の科学の中からですから、西欧、つまりキリスト教世界がどのように人間というものを見ていたかということを知っておかなければいけません。
そのキリスト教世界観における生き物の扱いは梯子のようになっています。一番偉いのが神様、その次が天使、次が人間、動物、その下が植物ということで、これはスカラナチュレ、「自然の梯子」ということになっています。つまり序列のことで、いろいろなものが並列であるといっているのではなく、優劣がある、序列があるといっているわけです。そして、これは神様が全てを創ったとする創造説ということになります。
キリスト教世界の中で人種というものがどう捉えられてきたかというと、ヨーロッパは地中海を経てアフリカと続いていますので、黒人という存在はよく知られていました。ところが、大航海時代とかコロンブスのアメリカ発見などという時代になり、もっといろいろ世界中を回るようになります。
その後、世界中を探検した結果、いわゆる聖書に書かれていない人間たちが発見されるわけですね。例えば、「アメリカ・インディアン」と呼ばれる人たちなどというのは聖書に記述がありません。彼らは、そのような初めてヨーロッパ人が見た人々が本当に人間かどうかという議論をします。その時に、先ほどの「自然の梯子」の中でどう位置...