●対立軸はイデオロギー軸
曽根 再編について考えるとき、「見果てぬ夢」や「ないものねだり」の他にもう一つ、対立軸論争というものがあったわけです。対立軸がはっきりすれば、国民は選択できるという説です。
その対立軸というのは何かというと、イデオロギー軸です。つまり、資本主義と社会主義、自由主義陣営と社会主義陣営、保守と革新などです。しかし、きれいにスパッと分かれた二つの軸になるのかというと、「ならないのではないか」と言う人もいます。「自民党の中もごちゃごちゃしている」とか、「民主党の中もごちゃごちゃしている」とか。「リベラルはどちらなのか」とか、「民主党でリベラルを名乗るのは絶対許さん」というグループだっているわけで、「むしろ宏池会に近い」とか、「では、民主党が宏池会を名乗って票をとれるのですか?」と、こういった問題もあります。そんなことを言うと「選択できない」というわけです。「きれいに保守と革新に分けてくれないと選択できません」と。しかし、「そうなのですか?」と、聞きたくなるわけです。
●今、二つの言論のグループに分かれている
かつて日本の新聞は、どれを読んでも同じと言われていました。けれども今、日本の新聞は、朝日・毎日と、読売・産経で明らかに分かれています。原発も、集団的自衛権も、ときにはTPPも、明らかに分かれています。東京新聞は原発ではもっとこちら(左寄り)です。日経は、あるときは読売型、あるときには少しそちらに距離を置きます。
けれども、明らかに二つの言論のグループに分かれています。これは、テレビも似たところがあります。こんなにはっきりとした対立軸があるという時代は、少なくとも言論、あるいはマスコミでは、これまでにありませんでした。
そこで、一つはそれに乗って、選挙で勝てれば実は簡単です。もし、国民が朝日・毎日、読売・産経というように二つに分かれて、この下に何千万、例えば2000万の固まりがあるのなら、政党はそれに乗ればいいだけです。
ところが、マスコミのその主張と、それを支える国民の層は一致していません。国民はもっと流動的なのです。あるときには、原発に賛成したり反対したり、あるときには、集団的自衛権に賛成したり反対したり。
ただ、これはマスコミが独自に動いているのかというと、そうではないようです。うちの学生が修士論文...