●戦後の自民党は総合デパート方式で、国民の納得する政治をやってきた
── 日本の政治が一番安定していた55年体制の頃は、自民党の派閥の中で、うまくバランスが取れていましたね。岸信介さん、福田赳夫さんのところから、経済優先の田中角栄さん、竹下登さんのライン、それから大平正芳さんや宮澤喜一さんの宏池会(こうちかい)、さらにもう少しリベラルなところで三木武夫さん、やや右派政権の中曽根康弘さんもいて、バランスが取れていました。その中で野党の声も聞き、例えば公害問題などは柔軟に協調して、それを取り入れ、環境省を新設してしまうというように、知恵がありましたね。日本の昔の中選挙区制度の中では、自民党の中で各派閥の色合いが違いました。一方が右派政権ならば、もう一方は宏池会型、大平さん型のリベラルを目指すというように。
カーティス 少し抽象的な話ですが、理念とイデオロギーが違うのです。
── なるほど。理念とイデオロギーが違う。
カーティス 戦後の自民党という政党は、イデオロギー的には統一していませんでした。右から中道の左まで、岸さんから三木さんまでいたわけです。
先日、安倍晋三首相が何かの本で、「戦後の自民党は、党結成時の目的を忘れて、何でもかんでも妥協をした」というようなことを書いていました。彼は確か“理念”という言葉を使ったと思うのですが、「憲法改正を行い、より理念の統一された政党になるべきだ」というようなことが書いてありました。
僕は以前、本にも書いたのですが、戦後の自民党の特徴は、広く国民の考え方を取り入れて、派閥の形で党内で争い、国民が納得する政策をずっとやってきたことだと考えており、それを高く評価しています。
自民党に理念はあったと思います。それは、日本型資本主義体制、あるいは民主主義というものです。それこそ右から左まで、基本的な理念は共通していて、ある程度はあったと思います。しかし、イデオロギー的にはまとまっていませんでした。ただ、それは良いことなのです。イデオロギーではないから、野党である社会党が何か良いことを言ったときに、自民党がそれを採用して、自分たちの政策にしたりもする。イデオロギッシュな政党になるのは好ましくないと僕は思っているのです。
昔、田中角栄さんが言っていました。自民党というのは、いわば総合デパートだと。1階に行けばこうい...