●三つの次元で捉えるガザにおけるイスラエルとパレスチナの対立
皆さん、こんにちは。今日は、多くの犠牲者を出して続けられているパレスチナのガザにおける戦闘、あるいは、戦争についてお話してみたいと思います。
今回のガザの問題が示しているのは、イスラエルの南部国境の安全保障がいかに不安定であるかということを示しています。今回もイスラエルは、そうした安全保障の確保と言いながら、国際世論に対しても十分に説明できない理由によって、パレスチナ人の側にすでに1000人以上の犠牲者を出すという形で作戦を進めています。
こうした問題を、とりあえず今、イスラエルとガザ、特にイスラエルとハマスとの関係を中心に考えてみるとき、私たちは三つの次元で問題を捉えることができます。
その第一は、申すまでもなく軍事的な次元であります。これは、戦場、あるいは市街地が、戦闘地帯と化しているという悲劇によって象徴されます。
二つ目は、いわば国際的正当性とも言うべきものです。イスラエルは、何ゆえにガザにおいてこうした戦闘行為を続けるのか。また、ハマスは、何ゆえにイスラエルに対して停戦に応じないのか、といったような問題です。同じことは、何ゆえにイスラエルは、ハマスに対する停戦を恒常化しないのか、ということにも当然つながりますが。こうした問題を、国際世論がどう捉えているか、という点の次元です。
三つ目は、イスラエル人、もしくは、ユダヤ人、他方はパレスチナ人、もしくは、ガザ住民といった、こうした国民的なアイデンティティです。つまり、自分たちは何のために国を守るのか、あるいは、何のためにその土地を防衛するのかといった、そのアイデンティティの深さ、あるいは広がりに関わる問題であります。
●軍事的成功を収めつつ、国際的正当性を失いつつあるイスラエル
今、歴史的に考えますと、イスラエルは過去65年間に最初の二つの次元において成功を収めてきました。すなわち、軍事的な次元における成功と、国際的世論におけるどちらかというとイスラエルに対して同情的な流れです。第二次世界大戦中のホロコーストや、あるいは、ユダヤ人に対する伝統的なヨーロッパの反セム主義、ユダヤ人差別など、こうしたことの歴史的な結果として、国際世論の同情を収めることに成功してきました。
しかしながら、現在において申しますと、このイスラエルが確保していた二つの次元におけるある種の正当性や成功が、疑問符を突きつけられつつある、あるいは、そうしたものがいまや擦り切れつつあるのではないかという印象を受けるのです。
イスラエルは、1948年につくられた国家ですが、その後のいくつかの戦争や、戦争の結果としまして、国家を維持し、かつ、ヨルダン川西岸などに入植地をつくるといったような形で、事実上、国を拡大してきました。安全保障も、見た目には世界でも有数の軍である国防軍の力によって、達成したかのように見えます。
しかし、こうしたことが疑問符を突きつけられつつあるということを、今、テレビジョンの映像、あるいは新聞の論調などでも、多くの日本人が知るようになってきているのです。
●テロも辞さず、イスラエルの無敵神話を崩しつつあるハマス
他方、ハマスについて考えてみましょう。ハマスというガザを支配しているイスラム主義組織は、南レバノンにおいてイスラエルに対して脅威を与えているシーア派のヒズボラに倣いました。従来のアラブ諸国が伝統的に、正面からのオーソドックスな戦いにおいてイスラエルと対決して、いずれも敗れるか、あるいは屈辱的な結果になった反面、ハマス、ヒズボラは、イスラエルの保ってきた軍事的な優位性に対して正面から挑戦し、従来のアラブとイスラエルとの間にあった軍事的な優劣のギャップを埋めつつあるという現状があります。
これは、ハマスやヒズボラが、従来の正当的な軍事力と違い、欧米人、あるいはイスラエルが言うところのテロ、その中には、時として自爆テロにつながるような自らの犠牲をかえりみないような作戦もありますが、こうしたテロなど、伝統的な軍事的戦略や兵学、軍事的思想から乖離したようなものの考え方をしているからです。これに対して、イスラエルは正面からなかなか太刀打ちできないという点も問題点としてあるのです。
もちろん、今のガザのハマスや南レバノンのヒズボラが、そうした非正規的な戦を重ねたり、あるいはテロ行為を重ねたとしても、直接それがパレスチナの解放につながるものではありませんし、イスラエルの国家的な存在に正面から脅威を与えるものではありません。
しかしながら、重要なことは、イスラエルに対して、従来の「無敵のイスラエル軍」といったような神話に対する懐疑心が生まれてきたことです。そして、地上に...