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今の人が苦しいのは「おまえは何か」を問われているから

伝染病と死生観(6)「わきまえ」があることの大切さ

概要・テキスト
昔の人はみんな死生観を持っていた。「家族に囲まれて、畳の上で死にたい」「夫婦そろって同じ墓に入る」というのも一つの立派な死生観で、この死生観が、人生の最後で振り返ったときに「まあ、良かったんじゃないか」と思える基盤となっている部分も大きかった。今は「幸福にならなければ」「成功しなければ」という、強欲で「はしたない夢」を追うから、人生がつらくなる。「人生は不条理で当たり前」と思えば、わきまえも出る。わきまえがあり、「身の丈」がわかっていれば、その人なりのいい人生を送れるようになる。(全7話中第6話)
※インタビュアー 神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:15:50
収録日:2020/04/24
追加日:2020/06/19
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≪全文≫

●「おまえは何者か」ではなく「何が私であるか」


執行 実は死生観は、昔はみんな持っていました。多くの人が持っていて、昔は人生を楽しんだ人が多かったのです。死生観は、それほど高尚なものではありません。僕が小さい頃までの人がよく言ってたのは、「家族に囲まれて、俺は畳の上で死にたい」というものです。これが本当に死生観として腹に落ちると、昔の日本がそうだったように、離婚なんてありません。女房がどんなに嫌だろうが、へちゃむくれだろうが、悪魔だろうが。離婚したら、家族がいなくなりますから。

―― 子どもも孫もいないですからね。(死ぬときに)囲まれないですね。

執行 この「家族に囲まれて畳の上で死にたい」という死生観は、一番庶民的ですが、これも立派な死生観です。これだけで離婚しないで済みます。

―― 幸せになれますね。

執行 まあ、幸せかどうかはわかりませんが。

―― 家族は残せます。

執行 自分が若い頃に立てた志の人生は、全うできるわけです。それが嫌な女房であれ、とんでもない子どもであれ、一応、死ぬときに畳の上でみんなに囲まれて死ねる。それは「まあ、よかったんじゃないか」という人生です。

 人生は「まあ、よかった」でいいのです。僕もそのつもりです。「いい人生を送ろう」と思っているから、現代人はダメなのです。人生はダメでいいのです。

―― ダメでいいんですか。

執行 現代の一番の問題は、「幸福にならなきゃダメ」「成功しなきゃダメ」と思っていることです。こんなのは、本当に強欲です。ただ昔でいう、そういう「はしたない夢」を持たせないと、消費文明上はダメなのです。「はしたない夢」を持たせると、みんなガツガツとがめつく稼ごうとします。だから、今のようになってしまった。

 しかし、実はこれは間違いで、人間はいい人生を送る必要がない。不幸でいいのです。不幸が悪かったら、誰も人生なんて生きられません。僕は「不幸の許容」と言っていますが、不幸を嫌だと思うから、今の人は、これだけ臆病になった。僕は「不幸でいい」と思っているから強いです。「不幸、大いに結構、いつでも来い」と思っていますから。人生は、出世しなくてもいいし、金も要らない。ダメでいいと思っています。

 僕の1つの望みは、子どもの頃に立てた志、武士道的な生き方を自分が死ぬまで貫くこと。それさえできれば、自分の人生は...
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