●今こそ死生観に立ち返るべきときである
―― 死生観や死に方が定まっていなければ、生き方が定まるはずありません。
執行 そうです。それを僕はいつも講演で話していますし、本にも書いています。肉体よりも大切なものがあると思って、初めて人間としての生き方ができるのです。魂よりも肉体のほうが大切なら、これは動物と変わりません。動物はみんなそうです。
言葉で言えば、人生とは「魂」のことで、肉体は「生息」です。言葉も違うのです。肉体を生かすだけなら、生息です。例えば今の国家が行っている放射能対策やコロナ対策は、生息に対する慌て方であり、生息に対する危険なのです。鳥インフルエンザや豚コレラで騒ぐことと放射能で騒ぐこと、今回のコロナで騒ぐことが同一線上の同レベルになっています。われわれが鳥でもなければ豚でもないことが、わかっていません。
たとえば中世にはもっと激しい、ペストという大変な病気が人類を襲い、人類はそういうものを全部乗り越えて文明を推進してきました。キリスト教の信仰があったから、ペストは乗り越えられたのです。
―― 確かにそうですね。キリスト教信仰があったからペストが乗り越えられたのですね。3分の1ぐらい死んだなかで。
執行 全部が死んだ都市もあります。3分の2の国民が死んだり、都市によっては全滅した都市がいくつもあります。ダンテやペトラルカの時代です。文献もたくさんあって、僕は文学でもたくさん読みました。あの時代、もう罹ったら必ず死ぬというペストですら、人間は立ち向かってきたのです。
―― 立ち向かってきたのですね。
執行 あまり言いたくありませんが、これほどあらゆる仕事、あらゆる文明を犠牲にして逃げ隠れした時代は、かつて一度もありません。僕は病気の歴史も好きで、ずいぶん研究してきました。病気の歴史だけでも、資料はたくさんあります。ジンサーの有名な『ネズミ・シラミ・文明』は伝染病と人間との付き合い方を書いた文明史ですが、今ほど人間が右往左往して慌てふためいたことは歴史上ありません。
―― 確かにそうです。人と人とが付き合えなくなってしまっていますから。
執行 これは国家が、何を言っているか意味をわかっていないからです。「人と話すな」とか「近づくな」とか、いったい人間の社会を何だと思っているのか。コロナで誰かが死なないために、人間が営々と築いてきた文...