●『緋文字』にみる一度の不倫で一生が終わる時代
「民主主義を考えるための十二の根本原理」の第10です。これは前にも少し取り上げたことがありますが、もう一回、思い出すためにお話しします。
アメリカの清教徒、つまりピューリタンは、今われわれが民主主義社会と言っているものを作った全ての根源です。間違っていたとしても、彼らの考え方の中に民主主義は全部ありました。したがってもう一回、アメリカの清教徒社会が何であったかを解説します。
その頃をひと言でいえば、「厳格な道徳と、権利よりも義務を重んずる思想」が社会を覆っていました。これが当時のアメリカ社会を代表する考え方です。
アメリカ社会が民主主義の世の中を作ろうと思ったときに、どういう社会を構成したか。これについて文学では、ナサニエル・ホーソンが書いた『緋文字』を読むと、当時のアメリカ社会がどのような社会だったかわかります。今やLGBTQなど、いろいろ何でもありの社会から見ると、最悪で信じられないでしょうが、当時のアメリカ社会の真実が一番描かれています。
哲学などは社会思想の攻撃を避けるために遠慮しやすく、その時代の本当の真実が書かれているのは、その時代の文学です。文学は芸術としてみんなが甘く見るので、かえって真実が書けるのです。
『緋文字』には、結婚後、今でいえば不倫のような愛におけるちょっとした過ちを犯した女性の人生を書かれています。当時はちょっとした恋愛でも、過ちを一回でも犯せば、その人間は胸に赤い星を貼られました。一生涯、赤い星のバッジを背負って、みんなから軽蔑されて生きる。そういう人生を送らされたのです。そのことがわかりやすく書かれているのが『緋文字』で、皆さんもぜひ読んでください。
ひどいことだと思いますが、このくらい行き過ぎた深い道徳観念を持つところまで、人間はいい意味で文化を発展させたのです。アメリカ社会も英国もそうで、プロテスタンティズムはとんでもない道徳を押しつけるところまで人間を追い込んだのです。
ここが重要で、われわれが今、民主主義だと思っているような政治形態や選挙権は、このくらい道徳的に追い込まれ、みんなが本当に苦しんだことにより初めて得られたのです。そういう人たちのもとで選挙制度が作られたことを思い出してもらいたいのです。
ほんのちょっと道徳から外れただけで一生...