●神武天皇による建国の詔、「養正」とは「正しさを養う」こと
続いて民主主義の根本原理の第2に行きます。第2は「養正」です。「養正」は漢文で、日本語的に読むと「正しさを養う」となります。これは『日本書紀』に出ています。神武天皇が日本建国のときに出した詔の中の言葉です。神武天皇が日本を建国したときに「養正」という言葉を言っているのです。
これから日本をどう治めていくかについて、神武天皇は「正しさを養っていこう」と人民に対して宣言したのです。
これは大変なことです。これこそが本当の意味、いい意味での民主主義の始まりだと思います。そのくらい素晴らしいことです。「養正」とは、「正しさを養う」です。つまり日本は、「帝王」といわれ日本国の中心で頂点に立つ方が「俺が正しい」と言ってできた国ではないのです。
どの国でも建国の詔は、みんな「自分が正しい」と言います。(例えば)共産党政府が立てば「共産党が正しい」「共産党は無謬だ」と言う。これが建国です。憲法です。でも日本だけは、日本国が建ったときに「これからみんなで考えながら、正しさを養っていこう」と神武天皇が言った。だから、いい意味で日本は最大の民主主義の国だと思うのです。
では神武天皇がなぜ2600年前、紀元前6世紀頃にそうした宣言ができたのか。宣言できるということは、みんなの中に共通認識があるということです。例えば今、私が「奴隷を持っていいじゃないか」「殺人がなぜ悪いのか」と言っても、誰も受け入れません。これは共通認識がないからです。
今の世の中で「殺人は悪い」と言えば、誰でもわかります。それと同じで、神武天皇が「正しさを養っていこう」と言ったということは、そのときの日本にそういう社会ができていたという意味です。
この詔ができるのが弥生時代ですから、弥生以前の縄文時代に、この思想が日本を覆っていたということです。要するに全ての人にとって、「俺が正しい」という考え方が、ある意味ではなかったのです。
だから、「みんなで話し合って、正しいものを決めていこうじゃないか」と。こういう社会が縄文です。科学的にも証明されてきましたが、1万何千年も大きな戦争がない社会が日本にはありました。あの状態が神武天皇の詔に表れているのです。それが「正しさを養う」という思想で、これはどういうことかいうと、全ての人が「どう生き...