●「人に意見を合わせる」という意味ではない
「民主主義を考えるための十二の根本原理」の第3回、根本原理の3を扱います。根本原理の2で「養正」を扱いました。根本原理の1は、文明についてです。根本原理の3は、民主主義が本当に素晴らしいものになるとどういう文明を生み出すのかということです。
民主主義には悪いものもたくさんありますが、本当に素晴らしいと何が生み出されるかという一つの例で「和を以て貴しとなす」を挙げました。日本人なら誰でも知っている聖徳太子が600年代に作った憲法十七条の第一条です。
これがどのくらい素晴らしいものであるか。また、真の民主主義とは何かを表すものでもあります。民主主義が理想に近い形になったときの一つの言葉として、この聖徳太子の言葉を改めて知ってほしいのです。この「和を以て貴しとなす」というと、「人に意見を合わせる」という捉え方をする人がいますが、当然それは違います。
まず日本の歴史を見たとき、聖徳太子の時代まではどういう時代だったかというと、大豪族の時代です。
日本には縄文時代以来、年月にすると1万年以上、全く価値観の違ういろいろな大豪族がいました。曽我氏や葛城氏、平群氏、物部氏などいろいろな豪族がいて、これらは多分、歴史的には1万年という単位で別々の価値観を持って暮らしている血縁による豪族です。そういうものがまだ日本を覆っていた時代で、その中から偉い人も出ている。その時代に聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と言ったのです。
この「和」とは何かというと、1万年間、全く違う人生観、価値観で生きている人たちが「話し合いによって一つの政治形態、一つの世の中を作ろうじゃないか」と唱えたものです。すでに日本では、神武天皇のときにできています。それがもう少し固まった状態が、この聖徳太子の憲法十七条です。
だから、憲法十七条の「和を以て貴しとなす」の「和」は、1万年間、全く違う考えの人間たちが同じ席に着いて、同じ政治の舞台に上がれる状態を日本はすでに作っていたことを意味します。
この話をするときによく例に出すのがヨーロッパです。ヨーロッパに初めて民主主義的な考えが少し生まれて、「国王の絶対権を奪わなければならない」ということで、マグナ・カルタができます。マグナ・カルタ、すなわち大憲章をイギリスが作りました。
これが民主主義の本...