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伝染病予防法廃止から見えてくる新型コロナウイルス問題

新型コロナウイルス問題を日本の疫病対策の歴史から考える

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
長與專齋
新型コロナウイルスに関する問題を考えるとき、日本の歴史を振り返ると、重要な参照点が見えてくる。かつて岩倉使節団の一員であった長與專齋は、疫病対策を十全に行う強力な国家の建設を目指した。(2020年2月26日開催・日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「戦前日本の『未完のファシズム』と現代」より番外編)
時間:09:20
収録日:2020/02/26
追加日:2020/03/05
≪全文≫

●ウイルス問題から想起されるべき長與專齋の功績


 日本は今、新型コロナウイルスに関する騒動で大変ですが、今後さらに大変なことになるかもしれませんし、そうではない形で終わるかもしれません。大変なことにならないことを祈っていますが、日本の歴史を振り返ると、この件に関して、私は長與專齋のことを思い出しました。

 長與專齋は内務省の初代衛生局長です。もともと肥前(現在の長崎県)・大村藩の藩医の出だったのですが、明治政府に出仕して、明治4(1871)年、岩倉使節団に加わり、ドイツとオランダに長く留学して帰ってきました。彼はもともと医者だったので、医療と国家や社会の関係を考え、どのように医学が国家と結びついてくのかをヨーロッパで学びました。

 そこで、1つの発見をしました。われわれが文明国だと見なしているヨーロッパには、国民の衛生に特化し、しかも疫病を阻止するためのセクションがあり、それが警察力と結びつくようにデザインされていた。そのことに、長與專齋は気づいたのです。そして、日本もそうすべきだと大久保利通に進言しました。これには時間がかかりましたが、最終的には明治30(1897)年の伝染病予防法の成立につながりました。


●疫病への対処のためには強力な国家が必要


 ヨーロッパの歴史は、ペストなど疫病との闘いの歴史ともいえます。疫病を抑えるためには、いざというときに、国家権力が市民の自由を止めるような体制を持たなければなりません。

 トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』も、それを示した著作です。「万人の万人に対する闘争」とは、原始状態・自然状態を指しているように説明されます。しかし、ホッブスは、リアルタイムでこの「万人の万人に対する闘争」状態を見ていました。つまり、ヨーロッパでは、例えばペストが流行するたびに秩序が崩壊していたのです。今(2020年2月現在)でいえばマスクの奪い合いのようなことが起こったり、また自分だけ助かろうとして食料だけ持って閉じこもったり、あるいは病人がいても自分から引き離して袋叩きにし、どこかに追っ払ってしまうというようなことが起こっていました。これはまさに、「万人の万人に対する闘争」で、その前では、法や正義や常識は飛んでしまいます。これが疫病流行時の状態だとホッブスは考えたのです。

 結局、人間の良識に期待するのには限度があり、必要悪としての強力な国家というものを認めなければならないということです。こうしてホッブスの『リヴァイアサン』は、自然状態といっても、疫病時のヨーロッパの現状をイメージとして踏まえて書かれました。こうした状況では「強力な国家が必要である」という主張です。


●市民的自由を守り、国家権力を制御せよ


 その後、実際にロンドンではペストが大流行し、ロンドン市民のおよそ3分の1が死にました。その時に、国家権力が強すぎることの弊害を目の当たりにしたのが、ジョン・ロックでした。時に国家は強すぎてしまうので、疫病がはやっていないときにそうであっては困る。そこで、ロックは市民的自由を訴え、政府の権力をいかに抑圧するかを考えました。これが現代の民主主義や自由主義理論の柱になっています。

 ロックも、もともとは医者で、ペスト対策で貴族の侍医をしていました。こうした人がなぜこんなことを言い出したのでしょうか。ともかく、そうした差し迫った状況のなかで、ヨーロッパの近代は成立しているのです。

 いざというときに、いかに国家は強権で疫病を流行させないようにするのか。しかし同時に、そうした強権が常に使われては困るので、普段いかにそれを制御しておくのか。これがホッブス対ロックの思想になっています。


●ヨーロッパの思想的成り立ちから日本の国家体制を案ずる


 このようなプロセスでヨーロッパがつくられていったことを長與專齋は知り、警察と衛生・疫病対策が結びつき、いざというときに封鎖をできるような国家体制を日本が持つために何をするべきかを考えました。

 明治政府は当初、医学は学問であると考えていました。そのため、医学は文部省の管轄でした。長與專齋は、文部省に仕えてヨーロッパに行ったのです。しかし長與專齋は、医学は文部省の下にあってもダメだと考えました。政治と医学を考えた場合、医学は文部省にあるべきではなく、内務省にあるべきだと考えたのです。そこで長與專齋は、医学・衛生関係を文部省から内務省に移すように大久保利通に建白し、実際に内務省衛生局に移りました。


●内務省に医学を組み入れることで西洋並みの文明国へ


 なぜ内務省に移すのが重要なのでしょうか。

 明治国家における内務省は、警保局、つまり警察を持っていました。また、明治30(1897)年にできた伝染病法においては、疫病は地域ごとで発生するので、地方長官が権限を持っ...
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