●ウイルス問題から想起されるべき長與專齋の功績
日本は今、新型コロナウイルスに関する騒動で大変ですが、今後さらに大変なことになるかもしれませんし、そうではない形で終わるかもしれません。大変なことにならないことを祈っていますが、日本の歴史を振り返ると、この件に関して、私は長與專齋のことを思い出しました。
長與專齋は内務省の初代衛生局長です。もともと肥前(現在の長崎県)・大村藩の藩医の出だったのですが、明治政府に出仕して、明治4(1871)年、岩倉使節団に加わり、ドイツとオランダに長く留学して帰ってきました。彼はもともと医者だったので、医療と国家や社会の関係を考え、どのように医学が国家と結びついてくのかをヨーロッパで学びました。
そこで、1つの発見をしました。われわれが文明国だと見なしているヨーロッパには、国民の衛生に特化し、しかも疫病を阻止するためのセクションがあり、それが警察力と結びつくようにデザインされていた。そのことに、長與專齋は気づいたのです。そして、日本もそうすべきだと大久保利通に進言しました。これには時間がかかりましたが、最終的には明治30(1897)年の伝染病予防法の成立につながりました。
●疫病への対処のためには強力な国家が必要
ヨーロッパの歴史は、ペストなど疫病との闘いの歴史ともいえます。疫病を抑えるためには、いざというときに、国家権力が市民の自由を止めるような体制を持たなければなりません。
トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』も、それを示した著作です。「万人の万人に対する闘争」とは、原始状態・自然状態を指しているように説明されます。しかし、ホッブスは、リアルタイムでこの「万人の万人に対する闘争」状態を見ていました。つまり、ヨーロッパでは、例えばペストが流行するたびに秩序が崩壊していたのです。今(2020年2月現在)でいえばマスクの奪い合いのようなことが起こったり、また自分だけ助かろうとして食料だけ持って閉じこもったり、あるいは病人がいても自分から引き離して袋叩きにし、どこかに追っ払ってしまうというようなことが起こっていました。これはまさに、「万人の万人に対する闘争」で、その前では、法や正義や常識は飛んでしまいます。これが疫病流行時の状態だとホッブスは考えたのです。
結局、人間の良識に期待するのには限度があり、必要悪としての強力な国...