●国連もアメリカも、常に正しいわけではない
曽根 集団的自衛権の問題で、一つ抜けている重要な点があります。それは、かつて日本が、岸信介首相の時代にいわゆる新安保条約(1960年調印)によってアメリカと同盟を再確認した時代とは、状況が大きく違うということです。
どう違うかというと、アメリカは過去20年、30年の間にずいぶん変遷しているのです。その変遷の仕方を単純に言いますと、まず湾岸戦争(1991年)、次に9・11(2001年)、そしてイラク戦争(2003年)がありました。この間、約15年近くあります。
まず最初、湾岸戦争のときには、ブッシュ米大統領(父)は、クウェートに侵攻したイラクに対して、当初これを正面からたたくことは考えていませんでした。しかし、サッチャー英首相にお尻をたたかれたりして、急遽、クウェートを助けることになります。クウェートを助けるだけでなく、サウジを守ることもしました。戦略があったわけです。
次に、9・11です。これは予測できませんでした。できなかったけれども、ワールドトレードセンターで航空機のテロが発生した後、かなり早期にテロリストを明らかにできました。それによって、これはアルカイダと関係があるのではないか、という予測を各国はある程度信頼してアメリカを支持し、アフガン攻撃があったわけです。これが第2段階でした。
さらに、2003年、アメリカはイラクを攻撃しました。イラクには大量破壊兵器があるというのが表向きの理由でした。もう一つの理由は、アルカイダ、つまりテロリストとフセイン政権は関係があるのではないかということでした。結果的には、両方とも正しくありませんでした。
この頃、ネオコン(新保守主義)がアメリカの中心でした。そうすると、アメリカの過去の政策は、一貫しているのか、合理的なのか、理性的なのか。これはかなり疑問が出てきます。
つまり、米軍再編一つとってもアメリカは変化しています。日本でも政権が変化すれば政策が変化しているのと同じです。例えばイラク攻撃のときのように、ネオコンのような人が政権に入り込んで、アメリカの重要な外交政策を決めてしまうことはあり得るのではないか。あるいは、ブッシュ(子)には、父親のブッシュのときの恨みがやはりあったのではないか、と。というのは、アメリカは湾岸戦争で圧倒的に勝利するわけですが、しかしとどめを刺すことはしませんでした。とどめを刺さなかった結果どうなったかと言うと、ブッシュ(父)は選挙で負け、フセインはそのまま残るわけです。これは理屈に合わない、この恨みを晴らさなくてはという思いが、やはり根底にはあったのではないでしょうか。
このように、われわれは、国連にしてもアメリカにしても、合理的でかつ理性的でかつ一貫していると思わないほうがいいのです。
●「国際法」という法律は世の中に存在しない
曽根 同じような例がもう一つあります。それは国際法です。特に集団的自衛権を議論する人は国際法をよく持ち出すのですが、しかし、国際法は、「世の中に存在していない法律をわれわれは大学で教えている」と国際法学者がよく自分たちを自虐的なジョークとして言ったりするように、何か普遍的なものがあるわけではないわけです。
その例は過去いろいろとありますが、例えば、アメリカの言語学者チョムスキーの講演を聞きに行ったときのことです。ちょうど北大西洋条約機構(NATO)によるユーゴ空爆(1999年)の日のハーバード大学でした。会場はもう満員で、私は別室で会場中継の映像を通して見ていました。ずっと話を聞いていますと、アメリカ批判であることはよく分かるのですが、その根拠が国際法なのです。
正義だとか、あるいは秩序といったものは、国内の憲法や民法や刑法に基づいてその行動を批判することは可能です。「国際法」という法律が十全に働いていれば、その議論は成り立ちます。ですが、実際そうではありません。
国際法というのは、かなり怪しい、危ない、その場によって動く体系なわけです。国連がそうです。ですから、全否定するわけではありませんが、そういう意味で、政治の文脈の中でしか考えることができないのが国連であり、国際法なのです。
●「国際法が認めている集団的自衛権」の危うさ
曽根 集団的自衛権についてもこのことが言えるわけで、つまりその国際法が認めている集団的自衛権問題、という理解なのです。ですから、全く現実的かつ政治的な話なわけです。
では、それをわれわれはどこまで受け止めるのか。アメリカがいついかなるときも全く間違いを犯さないというのは、やはりナイーブすぎる前提です。現に日本も間違いをしばしば起こすわけです。問題は、間違いを起こしたときに、どうやってそれを修正するか...
(1960年、朝日新聞社「アルバム戦後25年」より)