●実地検分で、カラベキルの戦略意図を実感する
さらに、カラベキル将軍がエルズルムから離れて最初の砲煙を置いたホルムの高地に参りました。そのホルムの高地から眺めたソーアンルという山並みの素晴らしさ。その意味合いがいわば観光的、あるいは、現地の観察だけでいえば素晴らしいのですが、実は、そこが戦略的に見て非常に重要で、このソーアンルに対してなぜカラベキルがこだわったかということが、よく分かったりしたのでした。
それから、カルス市に移りまして、今度はこのカルスを一望するドゥマンルダーという山、このカルス市の郊外にあるドゥマンルダーという山に登ったりいたします。これは、この地図では2699メートルと書いています。ほぼ2700メートルの山なのですね。そこで、真夏なのですが、念のためにセーター、ジャケット等を持っていきました。当然役に立ちました。急に雨が降ってくる、急に風が吹いてくる。もう気温がいきなり一桁台に下がっていくというようなところも経験したわけでありまして、このドゥマンルダーの山、2699メートルから俯瞰いたしました。
そうしますと、地図に私が書いてありますように、カルス、そして、カルスの周りの山々、つまり赤い丸でチェックしたようなところ、これらが一望に見えるわけです。すると、ここがカルスを巡るカラベキルの作戦、攻防戦において重要な場所であるということが分かるのです。こうしたことを俯瞰するときには、やはり大きな山から眺めてみる必要があります。このようなことは、実際に行ってみないと分かりません。この近くでは一番高い山の一つであるドゥマンルダーから見てみますと、辺りを一望して見ることができる。この地理感覚、地勢感覚が、なかなか本だけで勉強していたり、書物を書くだけでは分からないのです。
●急な山道から黒海へ-史実がリアリティをもって迫ってくる体験
このような旅行でやはり一番度肝を抜かれたのは、カルスからアルダハンに抜け、そしてこの山道、山々を通ってアルトヴィンに抜けていく、こういう旅を続けたときのことです。地図をご覧ください。この山々の等高線がこれだけぎゅっと詰まっています。この山々は、2951メートルとか、3000メートルになるような山々もあります。そこがぎゅっと詰まっている、これだけの高低差のあるすごい谷に降りていくのです。少しずつ低い山々、低い高さのところに少しずつ降りていく。ここが旅行中で一番大変なところでした。こうした経験をいたしますと、実際トルコ軍とアルメニア軍、あるいは、トルコ人とアルメニア人が、どういう場所に生活しどういう場所で行動したかということを、本には一応書きましたけれども、自分の目で眺めることができたというのは、大変有意義なことでありました。
この道はどこへ行ったかと申しますと、ゆくゆくは黒海に通じるのです。アナトリアのこの山の中から出てきまして、ここがアルトヴィンです。カルス、それから、アルダハン、バトゥームというこの中の一つの郡だったのが、アルトヴィン。これは後に県に昇格しまして、三つの県と呼ばれる、本来はバトゥームになるはずなのですが、アルトヴィンがそれに代わられていきました。なぜかというと、モスクワ条約でバトゥームがロシアに属したからです。そこで、そのバトゥームの代わりにもう一つバトゥーム県というものを再定義して、アルトヴィンになる。歴史的には私の書物の中によく出てくる地名ですが、そのアルトヴィンからボルチカ、そして、ホパへ抜けていく。そして、ホパで黒海に出ると、こういうことです。
このような急峻な山あいを越え、そして、黒海へ出ていくこのコースというのは、紀元前にあの有名なギリシャの歴史家クセノフォンの『アナバシス』という書物の中で、ギリシャ人の傭兵たちが、チグリス・ユーフラテスでペルシャの軍隊と戦って、敗北して逃げていく様子を書いた、その道とイコールではありませんが、そういう道を思わせるものでした。彼らが黒海に着いて叫んだ言葉、「タラッタ、タラッタ(海だ、海だ)」というあの実感というものを、自分も持ちました。
ここをずっと降りていくと、ぎりぎりまだまだ見えないけれど、あるとき突如として海がこの眺望の中に、急峻な山あいのかなたに見えてくる。そのときに、丘に登って、山の一番てっぺんに登って、昔のギリシャ人たちはきっと感激したのでしょう。海にさえ出れば、自分たちの故郷のエーゲ海の方に抜けられると考えたのでしょう。そのぐらい、実はこの山あいのアナトリア側の気候と、黒海性の気候を持っているこの地域では、風土的にも、体感的にも違うところがありました。
こうしたことを見ますと、千丈の谷、万丈の山と、こうよく言いますが、この千丈の谷と万丈の山という、明治の日本人が歌にもう...