●八反田友則「来訪者」と西脇順三郎の「ギリシア的抒情詩」
執行 これはいま一番新しい、戸嶋(靖昌)の次の世代の芸術作品で、「来訪者」といいます(八反田友則「来訪者」)。これを描いた画家が八反田先生といって、若い人(1979年生)なのですが、この作品には、若い八反田先生のなかにある人生への夢や希望、生命の奥深くから出てきた夢や希望がすべて入っていると、私は最初に直観したわけです。
この作品を初めて見たのは銀座の永井画廊でした。当時はまだ無名の先生でしたが、私は西脇順三郎の最も有名な「ギリシア的抒情詩」を感じました。西脇は私の好きな詩人で、日本の歴史や日本人の魂に残る詩人だと思っています。どのような詩かというと、
「覆された宝石のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日。」(『ギリシア的抒情詩─「天気」』)
その詩を、私はこの絵に感じたわけです。
西脇は「神の生誕」とうたっています。「生誕」とはどういうことかというと、われわれの魂のなかに、自分の生命を捧げる対象のものをつかみ取ったとき。そのときを私は「神との対面のとき」だと思う。それを西脇順三郎は詩にしたのだと思うのです。その詩が、この絵に描かれているということです。
どうして八反田友則という人は、この絵を描けたのか。八反田先生は、多分、西脇順三郎は知らないはずです。でも、西脇と同じ生命の奥深くから来る、生命が追い求める夢のようなものをつかみ取りたいという憧れを持っている。八反田先生がまだ若いので、将来に対する憧れを持っている。その憧れが表された作品だということなのです。
いまお話ししたようなことが、この作品のなかに鎮(しず)もれている。私が感じたということは、それが鎮(しず)もれているわけです。そういうことを、作者の八反田先生とも話しました。先生はもちろん謙遜しておられましたが、ご自身がそういう生き方をされている人なので、私が芸術作品からそのようなことを受け取ったことを、非常に喜んでくれました。
重要なことは、八反田先生の作品を私が保存し、後世に伝えれば、必ず後世の日本人のなかで(日本人には限りませんが)、この作品を見て、また「覆された宝石のやうな朝/何人か戸口にて誰かとささやく/それは神の生誕の日」という生命の奥底からくる憧れをつかみ取る人が出てくるだろうことです。それが300年後か500年後かは知りませんが、そういう日本人が出てきて、またこの国を立て直してくれる。そういう「期待」といってはなんですが、私はそういう夢を持ち、その夢のために、この作品を始めとするコレクションをたくさん集めているということです。
── 先生、どうもありがとうございます。
●後世の人がこの作品からメッセージを掴みとってくれる
執行 素晴らしいでしょう。
── 素晴らしいです。
執行 今話していた感じは、なんとなく伝わる?
── 感じます。戸嶋先生のときもびっくりしたのですよね。あのときは「三つの塔(街・三つの塔─グラナダ遠望─)」に接して、自分の見たグラナダの三つの塔がこういう描き方になるのかと本当にびっくりしました。それと同じような感じですね。
執行 戸嶋靖昌は、今生きていたらもう80歳を過ぎている(1934年生)。そういう年代なので、もっと激しいものがあるけれど、八反田先生はもっと若いので。
── 若いですね。今40歳前後ですか。
執行 今の(時代の)豊かで柔らかいところがある。同じものなのだけれども、豊かさから出てくる柔らかさがある。でも、たとえ柔らかくても、硬派でも軟派でも、憧れをもって命を捧げるものを見つけ出してつかみたいという希望は同じだと思う。
── 「来訪者」というのも、なかなかのタイトルですよね。
執行 すごいよ。びっくりしたのです。私は、この絵を見たときに先ほど述べたことを感じたわけです。
私が集めている「憂国の芸術」は、それぞれの芸術作品一つひとつにそういうことを感じながら集めてきたもので、高い安いではありません。要は本当に芸術の才能のある人が芸術に生命を捧げている、そして将来に残す価値のあるものを集めているということです。
── 先生が「芸術に生命を捧げた」というところを基準にしているのが素晴らしいですね。
執行 才能は二の次で、まず自分の信じる芸術に生命を捧げていることが一番。次に、芸術の才能があることが二番。普通の人とは逆ですね。
── 画家は、ゴッホもそうですが、だいたい生きている間は報われないですよね。
執行 そうだね。ゴッホなども、生前に知っていれば集めたと思う。
── 先生が出会っていれば、ですね。
執行 そうそう。
── (ゴッホは)エクス・アン・プロヴァンスに行っても癒されなかったという。大変なものです...