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八反田友則が絵に込めた、将来に対する「憧れ」と「呻吟」

「壁」ありてこそ(8)特別編:芸術の中の憧れと呻吟

執行草舟
実業家/著述家/歌人
概要・テキスト
 未来に残すべき芸術とはどのようなものか。今回、執行草舟は、まだ若き画家・八反田友則の作品を紹介する。若いがゆえに、一枚の絵に込めることができた「将来に対する憧れ」。一方、別の二枚に描かれたのは「混沌とした未来への呻吟」である。執行草舟が芸術作品に求めるものは、まず自分の信じる芸術に生命を捧げていることが一番。芸術の才能があることは二の次であるという。では、それぞれの絵に込められた思いは、いかに観る人に訴えてくるのだろうか。(全8話中8話)
インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:15:19
収録日:2021/01/14
追加日:2021/04/09
カテゴリー:
≪全文≫

●八反田友則「来訪者」と西脇順三郎の「ギリシア的抒情詩」


執行 これはいま一番新しい、戸嶋(靖昌)の次の世代の芸術作品で、「来訪者」といいます(八反田友則「来訪者」)。これを描いた画家が八反田先生といって、若い人(1979年生)なのですが、この作品には、若い八反田先生のなかにある人生への夢や希望、生命の奥深くから出てきた夢や希望がすべて入っていると、私は最初に直観したわけです。

 この作品を初めて見たのは銀座の永井画廊でした。当時はまだ無名の先生でしたが、私は西脇順三郎の最も有名な「ギリシア的抒情詩」を感じました。西脇は私の好きな詩人で、日本の歴史や日本人の魂に残る詩人だと思っています。どのような詩かというと、

「覆された宝石のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日。」(『ギリシア的抒情詩─「天気」』)

 その詩を、私はこの絵に感じたわけです。

 西脇は「神の生誕」とうたっています。「生誕」とはどういうことかというと、われわれの魂のなかに、自分の生命を捧げる対象のものをつかみ取ったとき。そのときを私は「神との対面のとき」だと思う。それを西脇順三郎は詩にしたのだと思うのです。その詩が、この絵に描かれているということです。

 どうして八反田友則という人は、この絵を描けたのか。八反田先生は、多分、西脇順三郎は知らないはずです。でも、西脇と同じ生命の奥深くから来る、生命が追い求める夢のようなものをつかみ取りたいという憧れを持っている。八反田先生がまだ若いので、将来に対する憧れを持っている。その憧れが表された作品だということなのです。

 いまお話ししたようなことが、この作品のなかに鎮(しず)もれている。私が感じたということは、それが鎮(しず)もれているわけです。そういうことを、作者の八反田先生とも話しました。先生はもちろん謙遜しておられましたが、ご自身がそういう生き方をされている人なので、私が芸術作品からそのようなことを受け取ったことを、非常に喜んでくれました。

 重要なことは、八反田先生の作品を私が保存し、後世に伝えれば、必ず後世の日本人のなかで(日本人には限りませんが)、この作品を見て、また「覆された宝石のやうな朝/何人か戸口にて誰かとささやく/それは神の生誕の日」という生命の奥底からくる憧れをつかみ取る人が出てくるだろうことです...
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