●三島由紀夫に7回会って文学論を交わした若き日々
―― 先生、今日は本当にどうもありがとうございます。
執行 とんでもないです。
―― 私がまず最初に聞いてみたいのが、執行先生の三島由紀夫の没後50年の講演の話です(憂国忌 第50回 執行草舟追悼挨拶)。
http://shigyo-sosyu.jp/mishima/greetings.html
すごく感銘を受けました。三島由紀夫 に、執行先生は16歳から19歳までの間に7回会ったと。
執行 そう、文学論で。
―― しかも文学論で7回会って、短くて3、4時間、長くて5時間から7時間。
執行 本当、半日ですよね。
―― 普通、なかなかありえないですよね。
執行 ただ私の感覚だと、私は文学青年で、小学校、中学校から死ぬほど本を読んでいました。私は今70歳ですが、私の青年時代は「文学論」をする主流は高校生、大学生でした。かえって大人は、当時はしない。だから今となっては有名だった作家とか、いろんな人と文学論をさせていただきましたが、珍しいこととは思いませんでした。
―― 確かに。
執行 私の友達なども文学好きなやつは仲間で集まっていて、当時で言えば一流の作家や先生のところへ遊びに行っていました。大学生なら、酒を飲みながらみんなで文学論をするというのは、しょっちゅうでした。
―― 世の中自体も、そうだったのですね。
執行 絶対そうです。少なくとも私の友達は、高校生や大学生で付き合うのは文学好きだから、みんなそうです。私だけではありません。珍しいとは思っていませんでした。
―― 今から見ると、ものすごく恵まれている時代ですね。
執行 だって今の人は読まないですから。本も読まない。何も読まない。ちょっと桁が違います。もう日本社会から、一挙にいなくなりました。
前にも話したことがありますが、私がこの会社で独立したのは33歳のときですが、私が独立した時点で、当時の偉い人で総合的な教養のある人は、日本社会からほとんどいなくなっていました。私は本を書いたりして、三島由紀夫も含めて、いろいろな思い出を書いていますが、結局、教養のある人といえば、20代の頃までにかわいがっていただいた、その当時の偉い人になってしまいます。
そういう人は、私が30歳になるまでは、職人だろうが普通の企業の重役とかお偉方だろうが、いくらでも教養のある人はいました。三島由紀夫も、その一人です。もちろん(三島由紀夫は)、あの「最期」があるので特別ですが、私にとっては日本人として非常に素晴らしいトップの芸術家、文学者という見方です。
―― なるほど、1970年代あたりまではギリギリそういう人がいたわけですね。
執行 いました。知り合いだった有名な人を挙げると、森有正や村松剛とか、そういう有名な人ですね。これは作家だけでなく、サラリーマンにもいました。こう言うと悪いですが、私が35歳ぐらいから世の中の一流と言われる人も含めて、いろいろな人と会いましたが、ほとんどがダメです。
まず人間としてダメで、肩書があるだけ、偉いだけです。金持ちなら金があるだけ。専門家なら専門知識を持っているだけ。人間として仰ぎ見るような、いい意味で畏れるような人は、ほとんどいません。
私は少ないそういう人を探しながら、いろいろ生きているので、1、2年に1人ぐらいは知り合います。今ちょうど知り合ったのが、(仏文学者の)竹本忠雄先生です。三島由紀夫の50年忌で中心の斎主をなさり、祭文を読まれました。私は短い講演をしたので、そこで知り合いました。
私はもともと竹本先生の本が好きだったので、いろいろと挨拶して、今親しく付き合ってもらっています。竹本先生は(フランスの作家)アンドレ・マルローの友達で、素晴らしい方なので、もともと尊敬していました。この人が、昔の日本人のような、人物として素晴らしい、本当に数少ない人です。ただ、お歳はもう今年で88歳ですね。
三島由紀夫を好きという人は、今でもけっこういるかもしれません。あと三島由紀夫の50年忌の関係では、(評論家の)宮崎正弘さんもいます。70代で、私の世代の少し上ですが、本当の教養人です。
●芥川龍之介の「ぼんやりした不安」の正体は何か?
――面白い話があります。マッカーサーの父親は軍人で、日露戦争における乃木(希典)や東郷(平八郎)を尊敬しているんです。マッカーサー自体も、子どものときに見たことがある。話したことはないけれど。ところがたかだか40年で、日本の将校はまったく違う軍人になっていると語っています。
先ほど、先生が高校生、大学生で文学論をやられていた70年代、それから会社を作られた80年前半ぐらいまでが、ギリギリ教養のある人がいたと言われました。そこから40年間で、まるで違う日本人になっていると。
執行 なっています。これは日本の根本精神を失っ...