●日中国交正常化が決まる時、首脳会談で共同開発の話題が出ていた?
若宮 来年は戦後70年、あるいは、日韓条約50年という大変な節目の年ですけれども、私は、ちょうどそれに合わせて、年末に1冊の本を出す予定です。『戦後70年 保守のアジア観』(朝日選書、2014年12月10日発売)という本で、特に保守政治がアジアをどう見てきたかという話ですが、以前に書いた本(『和解とナショナリズム―新版・戦後保守のアジア観』、朝日選書)を大幅に直して新しく出す予定で、今は結構まだ執筆で四苦八苦しているのですが、その中で、いくつかとっておきのお話を先んじてご紹介しようかと思います。
―― 楽しみですね。
若宮 一つは、尖閣諸島が今これだけ問題になっているでしょう。ご存じと思いますけれど、1972年に田中角栄首相と大平正芳外相が北京に行って、毛沢東主席の下で首相をやっていた周恩来さんと首脳会談を行ったのです。
それで国交正常化が決まるのですが、その時に尖閣の問題を田中さんの方から、「あなたはどう考えるのだ」と尋ねて、周恩来さんは「この問題は今はやめておきましょう」と言ったという話は、よく伝えられていて、ご存じだと思います。
公式記録ではそういうことなのですが、当時、尖閣は石油が問題になっていた所でしたので、実はその時に田中さんが「将来、あそこで石油の共同開発をするのはどうだろうか」と聞いたという話があります。それで、私の見るところ、何と答えたかは別として、周恩来さんも当時同じことを考えていたのです。そのことを今から少しお話しようと思います。
実は、二階堂進さんという当時の官房長官も中国に一緒に行って、首脳会談に同席していたのです。
―― 珍しいケースですね。
若宮 珍しいケースです。その二階堂さんが、1997年に朝日新聞のインタビューに答えて、「実はあの時、田中首相が“石油の共同開発をしようではないか”と言ったけれど、周恩来は乗ってこなかった」という話をしているのです。しかし、その話は、他に証拠がないので、それほど大きな記事にはなりませんでした。
―― 確証が取れなかったわけですね。
若宮 外務省は否定するし、記録はないということで、いまだに二階堂さんの証言だけになっているのです。
●田中角栄が通産大臣の時、共同開発の提案を検討していた
若宮 ところが、私はそれを見て、すごく気になったことがあります。一つは、田中角栄さんは、総理大臣になる前に通商産業大臣をやっていたのですが、その頃、尖閣で石油が出るということで、中国が領有について言い出しました。それで、田中さんが「あそこの石油の共同開発をやるように中国に提案したらどうか」と言ったという話を、実は読んだことがあったのです。
もうずいぶん前ですが、『文芸春秋』の田原総一朗さんの寄稿の中にそのような話が出てきていました。田中さんが通産大臣当時、今の経済産業省の前身である通商産業省の事務次官は両角良彦さんでしたが、この方に「石油の共同開発をするように少し中国に話してみないか」と言ったというのです。当時はまだ国交正常化前ですから、両角さんは「大臣、国交がない国ですから、そんな交渉はできませんよ」と言ったら、田中さんが「それでは、フランスを仲介して話を進めたらどうか」と言ったそうです。フランスは当時すでに中国と国交がありました。このようなやり取りを、両角さんから聞いた話として、田原さんが書いていたのです。
私にはその記憶があったので、実は両角さんにじかに確認しようと思って、数年前にお電話したのですが、もう90いくつですから、「昔のことでよく覚えていないから勘弁してくれ」ということだったのです。
しかし、例えば、通産省から総理秘書官になった小長啓一さんなどに聞いてみると、「その話は直接聞いていないけれど、田中さんがそのように考えていた節は十分にある」「両角さんがそう言ったのなら間違いないでしょう」と言うのです。ですから、少なくとも田中さんはそう思っていたと思います。
●周恩来と交わした尖閣の話が「竹入メモ」になかった理由
若宮 それから、もう一つは、周恩来さんです。田中さんが周恩来さんに会いに行く前に、有名な竹入訪中がありました。当時の公明党の委員長だった竹入義勝さんが先に行って、中国側の考えや条件など、いろいろなことを聞いてきたのです。その記録は「竹入メモ」と呼ばれていますが、メモといっても便箋で5、60枚になる議事録で、それを田中さんに渡して説明しているのです。
その中に、実は尖閣の部分も出てくるのです。それは竹入メモを読めば分かります。そこには、周恩来さんが田中さんに言ったのと同じように、「今この問題はやめておきましょう」と書かれてあります。「これについ...